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【スポーツ史 平成物語】

「空白の一日」に救われた 激動の30年 北勝海で始まり八角で次代へ

2019年2月13日 紙面から

平成元年初場所で二子山理事長から4度目の優勝賜杯を授与される北勝海=両国国技館で

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第9部 大相撲編(1)

 元号が平成になってから30年あまりの間に大相撲界は大きく変わった。外国人力士や学生相撲出身力士が台頭。「若貴フィーバー」では新たなファン層が開拓された。「スポーツ史平成物語」の第9回は大相撲編。平成と改元された翌日が初日となった1989(平成元)年初場所を制した日本相撲協会の八角理事長(55)=元横綱北勝海=が激動の場所を振り返り、併せて、協会トップとして迎える次の時代への思いを語った。

 初場所初日を翌日に控えた1989(昭和64)年1月7日。大相撲をこよなく愛された昭和天皇崩御の報は、相撲協会に大きな衝撃を与えた。

 東京・両国国技館では、すぐに館外ののぼりを下ろす作業が始められた。横綱の千代の富士、北勝海、大乃国ら力士も悲痛な面持ちで次々と国技館にかけつけた。土俵祭りや、東京場所の初日前日恒例の優勝額贈呈式は通常通り行われたが、太鼓は自粛され、館外には弔旗が掲揚された。

 相撲協会には、初場所を予定通りに開催するか否かの問い合わせが殺到。30本の臨時電話を増設し、夜中まで対応した。そんな慌ただしい状況の中、初場所の初日は8日から9日へ延期が決まった。チケットを全てスライドさせると混乱するため、8日のチケットのみ、新たに千秋楽となった23日の月曜日へ振り替えられた。

 予定より1日延びた9日に初日を迎えた「平成元年初場所」。その“空白の一日”によって復活を遂げたのが北勝海だった。

 前年の夏場所14日目。体の異変を感じた北勝海は、大関旭富士に送り出されて3敗目を喫した。「四股を踏んでも腰に違和感があって力が入らない。千秋楽は休場。激痛で病院に行くのも大変で、そのまま入院だった」。続く名古屋場所から3場所連続で全休。年が明け、「初場所は絶対に出る。迷いはなかった」と89年の初場所に再起をかけていた。

 ところが、「初日の2日前(6日)に熱を出した」と今度は39度の高熱に襲われる。その日は稽古が終わると、急に体の震えが止まらなくなった。「ブルブルときて、布団を何枚かけても寒くて病院に行ったよ。18歳のときにへんとうを切って、それから8年くらい熱を出したことなんてなかったのに。師匠(元横綱北の富士の九重親方)からは『今場所も休め』と言われた」

優勝決定戦で旭富士を破った北勝海

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 そんな危機的状況の中で初日が順延された。「熱は2日くらいで下がったが、あの1日で体調が戻った」。ふたを開ければ、自身初の初日から14連勝。千秋楽で旭富士に敗れたものの、1敗同士の優勝決定戦で、その旭富士を寄り倒した。

 腰の回復が思わしくなかった前年の秋場所後には「10分も座ってられない。このまま引退か…。横綱として1回優勝してたし、『25歳だけど仕方がないかな』とも思った」と、土俵を去るかもしれないという思いが頭をかすめた。

 逆境を乗り越え、やっとの思いでつかんだ4度目の優勝。平成初となる賜杯を二子山理事長(元横綱初代若乃花)から手渡されると、「グッときたね」と込み上げる涙を必死でこらえた。土俵上で周囲を見渡せば、「(審判部長だった)師匠もうるうるしてるのが見えた」という涙の復活優勝。苦しい日々を支えてくれた人への感謝の思いがあふれてきた。

 懸賞金や大入り袋の配布はなく、千秋楽の音楽隊や優勝パレード、各部屋の打ち上げパーティーも自粛された場所だった。それでも、「全然気にしなかった。平成の扉を開けた、とか言うけど、後からそうだよなという感じ。まずは勝ち越し、その次は2桁(勝利)。自分のことしか考えられなかった」と振り返る。

 引退かも、と思った秋場所後に出会ったのが冷凍治療だった。マイナス190度の冷凍室に1分間入り、すぐに腹筋を100回という荒療治に耐えた。「できるわけないだろう、と思いながらも悔しいからやった。途中からは、できるな、と。『これで治すんだ、最後の手段だ』と。1日8時間のリハビリで自信がついていた。腹筋、背筋、階段上がりを1時間。こんなにやってる力士はいないだろうと思った」

 理事長となった今、その時の経験が生きている。両国国技館の相撲診療所に、リハビリ施設を定期的に開設。治療に通う費用がない幕下以下の力士には、トレーナーが治療や指導をしている。これらは、八角親方が理事長となって始めたことだ。

 「土俵のけがは土俵で治せ、という言葉もありますけど、自分がリハビリで良くなった経験がありますから。体を大事にする子は強くなる。ほかのスポーツ選手も『ここに来ればよくなるぞ』というくらいになれば」

 平成になって30年あまり。土俵内外でさまざまな問題が起こった。それでも、八角理事長が願うのは角界の繁栄が将来もずっと続くことだ。

今年の大相撲初場所8日目を観戦に訪れた天皇、皇后両陛下。後方は八角理事長=両国国技館で

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 「100年後も同じ相撲界でいたい。このままの相撲界を残したい。床山さんが大銀杏(おおいちょう)を結って、呼び出しさんが呼び上げて、行司さんが裁く。様式美を残すことが一番大切な改革」との考えが根底にある。

 もちろん、不祥事をなくすための改革も歩みを止めない。暴力決別宣言や不祥事再発防止の研修会など外部の意見を積極的に聞き、「勉強しながら変えていきたい」と厳しい姿勢で臨む。その一方で、「うちの部屋に入門した不登校の子が教習所を一日も休まず通った。この世界は“育てる”という部分が大半。やり直しがきくというのかな。そういう世界にしなくてはいけない」と温かい視線で相撲界を包むことも忘れない。

 平成最初の場所を優勝で飾り、新たな元号を理事長として迎える。再び時代の節目に立つこととなる八角理事長には、これからも手腕発揮への期待が大きい。歴史的な節目を目前にして、理事長は「いい状態で次の世代へつないでいきたい」と決意を新たにする。確かな手で次の世代へバトンタッチするために−。 (岸本隆)

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