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【スポーツ史 平成物語】

新星には超えられなかった絶対女王の壁 不動裕理VS宮里藍、最終戦の激闘

2019年1月23日 紙面から

2004年の最終戦リコー杯。賞金女王を争う不動(右)と宮里は4日連続でペアを組んだ

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第8部 ゴルフ編(3)

 平成に入って人気が沸騰した国内の女子プロゴルフ。そのきっかけになったのは、2004(平成16)年の最終戦・LPGAツアー選手権リコー杯(宮崎CC)で実現した2人の実力者による世代闘争だった。一人は、ルーキーながら5勝した宮里藍(33)。そして、その新星の前に立ちはだかったのは、前年まで4年連続で賞金ランク1位を守っていた絶対女王の不動裕理(42)だ。当時、19歳の宮里と28歳の不動が繰り広げた激闘を振り返る。 (文中敬称略)

 2003(平成15)年9月にアマチュアながらツアー優勝。30年ぶりの快挙を成し遂げ、直後にプロ転向した宮里はフル参戦1年目の初戦だった04年3月の開幕戦も制し、一躍時の人となった。

 一方、樋口久子や岡本綾子らが引っ張った昭和の女子プロゴルフを引き継いだ不動も、平成の女王として絶頂期を迎えていた。00(平成12)年に女子では初めて年間獲得賞金1億円を突破。03年には年間で10勝するなど先頭を走り続けた。04年も宮里が勝った翌週の開幕第2戦で優勝。早々と、賞金女王争いはマッチレースを予感させた。

 シーズンも大詰めを迎え、残り2戦の段階で賞金ランク1位は6勝の不動。4勝で2位の宮里が賞金女王になるには、最後の2試合を連勝することが最低条件と追い詰められた。ところが、このツアールーキーは新人離れした勝負強さを発揮する。まず、大王製紙エリエールレディスで2位に3打差をつけて完勝。欠場した不動との賞金差を1215万1651円に詰めた。

 とはいえ、不動優位の状況は変わらない。予選落ちがない最終戦の優勝賞金は1500万円。宮里が優勝しても、不動が単独7位以上に入れば女王レースは不動の勝ちだ。しかし、不動に宿る絶対女王の美学は、そんな勝利には満足しない。優勝して決着を。大会前に話していた「今年最後の試合だし、頑張って優勝を目指します」というありきたりな言葉の中には、強い決意が込められていた。

 リコー杯の初日は、賞金ランク順に2人1組のペアリング。初日は不動が68で首位発進し、宮里は69で2位につけた。2日目はともにスコアを落とし、不動が76、宮里が75で3位に並ぶ。3日目は69の宮里が単独首位に浮上し、不動も71で2打差2位とした。

 18番のグリーン上で「よくパットが入りますね〜」(不動)、「いやいや、そんなことないです」(宮里)という会話をかわし、ついに4日連続の同組が実現。しかも、最終日最終組での直接対決にもつれ込んだ。

 11月28日の最終日、宮崎の空はさわやかに晴れた。初日はお祭り騒ぎだったギャラリーも、2人のプレーぶりに日に日に緊張感を高め、観衆は初日の1837人から7402人に膨れ上がった。世紀の一戦を少しでもいい位置から見ようと、脚立を持ち歩く観戦スタイルが目立った。

 不動は1番でいきなりボギー。そして、4番パー4では宮里が115ヤードの第2打を放り込んでイーグル。2人の差は5打に開いた。「この時、もう無理だ、と思いました」と不動は振り返る。ただ、誰もが優勝を確信しかけた中で、宮里は「ラッキーをこのホールで使い果たしたかなと思った」。その悪い予感は的中した。後半に入るとプレーが乱れ始めた。

 12番は宮里がグリーン奥から寄せ切れずにボギー。10番までに1メートルのパットを4度外しながらも我慢を続けていた不動は11、13番のパー5で小技を生かしてバーディーとし、1打差となった。14番で不動はボギーをたたいたものの、宮里はバンカーからの第3打が出ず、さらに寄らず入らずのダブルボギー。ついに、両者が並んだ。

ホールアウトし、健闘をたたえ合い握手をする宮里(左)と不動=2004年11月28日

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 「どうやって自分のボールをカップに入れるか、もうそれだけで頭がいっぱいでした。優勝なんて遠いところにあるはずなのに、自分が優勝争いの真ん中にいる。トップに立ってからは、その不思議な気持ちが、すごくプレッシャーになってました」。この時の緊張感を、不動はそう語る。

 宮里は17番もボギーとして、ついに不動が逆転した。1打差の首位で迎えた最終ホール、この日外し続けてきた1メートルのパーパットが沈んだ瞬間を、不動は「鳥肌が立ちました」と打ち明けた。

 「疲れました。本音はぐったりです。今週は、練習日から今まで経験したことのない数の報道陣に囲まれたので。でも、宮里さんのおかげで新しい経験をさせてもらいました」。やつれたような笑顔を見せた不動は、シーズンを通して戦ってきたツアーのライバルらに初めて胴上げされた。異常なまでの喧騒(けんそう)の中で4日間を闘い抜き、優勝で締めくくった女王への敬意と称賛が、宮里を含めた他選手の表情に映っていた。

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 この年、本紙でコラム『裕理のひとりごと』を連載していた不動は、次のように最終回を締めくくった。

 「みんな宮里さんの応援なんだろうな」と覚悟していたギャラリーのみなさんが、すごく平等に私にも声援を送ってくれて、それが力を与えてくれたんですね、きっと。感謝してます。

 このコラムの最後を公式戦の優勝報告で飾れるなんて、私は本当に幸せ者です。御愛読、ありがとうございました。また一生懸命練習して、来シーズンも頑張ります。

 これが不動の通算32勝目。あの日、「もっと何事にも動じないようにしなきゃいけない」と語った女王は05(平成17)年まで6年連続で賞金女王の座を守り、現在まで通算50勝。平成の国内女子ゴルフで最も多く優勝を積み重ねたレジェンドとなった。 (月橋文美)

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 宮里は2005(平成17)年に6勝を挙げた。また、同年2月には北田瑠衣と組んだ第1回女子W杯(南アフリカ)で優勝。実力が世界でも認められるようになった。

 翌06年からは主戦場を米国に移し、09年のエビアン・マスターズ(フランス)で米女子ツアー初優勝。さらに、5勝した10年には世界ランキング1位になった。世界1位に立った日本選手は、平成が終わろうとしている現在でも男女を含めて宮里しかいない。

 17(平成29)年に引退を決めた宮里は、最大のライバルに不動を挙げている。「結局、あの人には一度も勝てませんでした。不動さんなしでは、私のその後のプロ人生はなかったと思っています。本当に大きい存在で、この人と争いたいと常に思っていたし、振り返れば越えられない壁があるというのがすごくありがたかった」と語った。

 ▼不動裕理(ふどう・ゆうり) 1976(昭和51)年10月14日生まれ、熊本市出身の42歳。156センチ、58キロ。10歳でゴルフを始め、清元登子の指導を受けて上達。熊本・九州女学院高3年の94年にジャパンカップ世界ジュニア15〜17歳の部で優勝した。96年のプロテストで一発合格し、同年末の新人戦加賀電子カップでプロ初勝利。翌年に初のシード権を獲得し、99年の伊藤園レディスでツアー初勝利。2000年から6年連続賞金女王となり「不動時代」を築いた。03年にツアー新記録の年間10勝を挙げるなど、11年までに公式戦7勝を含む歴代4位の通算50勝。近年も年間に数試合は出場し、昨季は6試合の出場で賞金ランキング104位だった。

 

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