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【スポーツ史 平成物語】

バックパス禁止、6秒ルール… 楢崎、キーパー目線のルール改正

2018年11月29日 紙面から

変化したGKの役割を話す楢崎=トヨタスポーツセンターで(金田好弘撮影)

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第6部 サッカー編(3)

 平成年代のサッカーは、より攻撃的、よりスピーディーに進化した。1992(平成4)年に、いわゆるバックパス禁止ルールができたのをはじめ、勝ち点制度の変更などにより、攻撃を推奨し、ゴール増加を促した。攻撃重視の時代は、GKの役割も大きく変えた。プロ24年目でJ1最多631試合出場の元日本代表GK楢崎正剛(42)が、サッカーの変質を、GK目線でひもとく。

 きっかけは、1990(平成2)年W杯イタリア大会だった。1試合平均2・21点は大会史上ワースト。守備的で面白みを欠き「最もつまらない大会」との評価が広がり、92年の国際サッカー連盟(FIFA)によるルール改正につながった。

 足を使った味方のパスを、GKが手で扱うと反則(間接FK)となる。これがいわゆる「バックパス禁止ルール」だ。当時、奈良育英高1年だった楢崎も衝撃を受けた。

 「結構なデカいことやった。だって戻ってきたボールは全部手で取れたんだから」

 今では当たり前だが、GKにはパスを処理する足元の技術が求められるようになった。ただ、楢崎は16歳の成長段階で、学ぶべきことの一つだった。それよりもサッカーの変化を実感する。

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 「GKへのパスが、はるかに減った。プロになってからも、GKへ戻すぐらいなら、自分で前へ蹴れと指示する監督がほとんどだった。それまでは、GKと味方で延々と時間稼ぎができた。当時の日本サッカーリーグや、ダイヤモンドサッカー(海外の試合を放映するテレビ東京系の番組)を見ていると、退屈なところもあった。このルールは画期的だったけど、良かったと思う」

 このルール改正をはじめ、攻撃的な試合を増やす策が次々に打ち出された。勝利「2」、引き分け「1」が一般的だった勝ち点制度は勝利「3」となりW杯では94年大会から適用された。「点が入らない」「退屈」というマイナスイメージを消そうとする動きは、93年にスタートしたJリーグの追い風にもなった。

 GKが変わらざるを得ない時代だった。1980年代後半から守備の概念も変化した。ゴール前で守るのではなく、できるだけ敵陣に近いところでボールを奪い、攻撃につなげる。DFラインが高くなり、その後方の広いエリアをカバーすることもGKに求められるようになった。

 「そういう役割は、僕がプロに入ったころは、もう当たり前になっていた。特に、トルシエ監督(日本代表)が高いDFラインにこだわっていたかな。いろんな監督のもとで、スタイルに合った役割を考えて、自分なりにバージョンアップしてきたつもり。ただ、僕がゴール前でどっしり構えているイメージがあるのか、前に出て行かないと思われているみたいで。そんなことないんやけどね」

1999年4月、V川崎戦で退場の判定に抗議する名古屋GK楢崎(右から2人目)ら=等々力陸上競技場で

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 旧来型のイメージに楢崎は苦笑いするが、それを思わせるような場面が、1999(平成11)年4月10日のV川崎(現東京V)戦(等々力)で起きた。相手アタッカーがフリーでゴールに迫ると、楢崎はペナルティーエリアを飛び出しスライディングで阻止。「ナイスプレーや」と思った直後に、レッドカードが提示された。後日、審判委員会が誤審との見解を出す異例の事態。判定と処分は変わらず、これが楢崎のプロ初の退場だった。

 オフサイドのルールが攻撃側に有利な変更があり、ボールの軽量化で、打った本人さえ軌道が分からない無回転シュートへの対応も必要になった。「またキーパーかよ」と負担増を恨みたくなるような状況だったが、ポジティブな変更もあった。「これが大きかった」と楢崎が言うのは2000年のルール変更だった。

 GKがボールを持ったまま「4歩を超えてはならない」「6秒を超えてはならない」というルールのうち、歩数制限が外された。

 「4歩って、キックの助走で終わり。ゴールライン際で取ったら、かなり前と離れて、何にもできない。6秒ルールになって、できる範囲が広がったし、取る前から、次のプレーを予測することが大事になってきた。キーパーが攻撃の第一歩という考え方が、このあたりから、出てきたかもしれない」

ロシアW杯ベルギー戦の後半ロスタイム、日本のCKをキャッチするベルギーGKクルトワ=7月2日、ロストフナドヌーで(岩本旭人撮影)

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 W杯ロシア大会決勝トーナメント1回戦で、日本はベルギーに2点リードしながら逆転負け。ロスタイムにCKをキャッチしたGKクルトワが前に出ながら、味方を探し、絶妙の飛び出しを見せたデブルイネに配球。あのスーパーカウンターは、旧ルールなら難しかった。

 攻守にわたって役割が大きく変化したGK。「昔と比べたら、日本でもGKの重要性が認められるようになってきた」と楢崎は実感するが、それゆえに日本人GKが厳しい局面を迎えている。外国人枠にGKを使うJクラブが急速に増えてきた。

 「日本人では務まらないと思われてしまいそうで、僕はあんまり好きじゃない。クラブの考え方も理解できるけど。今、日本人でバリバリのGKが誰か聞かれても、パッと出てこない。確かにサイズはあった方がいいけど、他の要素がすべて同じならという話。日本人でも十分やれる」

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 20年以上、世界の流れ、日本の成長や停滞を体感してきたGKの第一人者は新時代について問われると「俺はもういいでしょう」と自虐的に笑ったが、沈黙の後、要望を込めて言った。

 「日本もそろそろ、守備のことをしっかりやったほうがいいと思う。これだけ攻撃志向が強まってきたということは、それを止めることも重要になってくる。ボールをこねくり回すように動かすのが「うまい」って言うんじゃなくてね。個人でもグループでも、(戦術大国と言われる)イタリアみたいな守備のメンタリティーが、若い段階で学べるようになってほしい」

 いつも「GKは守備のボス」と奮い立たせてきた楢崎らしい言葉で締めくくった。 (構成・木本邦彦)

 ▼楢崎正剛(ならざき・せいごう) 1976(昭和51)年4月15日生まれ、奈良県香芝市出身の42歳。187センチ、80キロ。奈良育英高3年の全国高校選手権で同校初の4強入りに貢献。95年横浜F入り。98年の横浜F消滅により99年に名古屋入りし、2010年J1初制覇と同時にGK初のMVP。日本代表では98年に初出場し、同年のフランス大会からW杯4大会連続でメンバー入り。00年シドニー五輪はオーバーエージ枠で出場し8強。J1最多の631試合出場。日本代表では77試合出場。

当初は審判も戸惑った

 2016年まで日本サッカー協会の審判トレセンダイレクターを務めていた林則治さん(70)は、バックパス禁止ルールが導入された92年当時、愛知県審判委員長で「当初は、審判もルール適用に戸惑っていた」と振り返った。事前に映像を使った研修会で準備をしていたが、GKへのパスなのか、クリアミスなどで偶発的に向かったボールなのか判別は難しい。GKも対応に困る場面もあった。ボールがGKに向かっている時に、主審が「手で取ってOKだよ」と、しぐさで伝えて試合を進めるケースもあったという。

幻に消えたキックイン

 攻撃重視が進むなかで、幻に終わったルールもある。1993(平成5)年、日本で開催されたU−17世界選手権(現W杯)で、スローインに代わってキックインが試験的に導入された。楢崎は年齢制限で出場資格がなく、同学年の中田英寿、宮本恒靖らがいる日本代表の試合を見ていたが「あれはアカンかった。自陣からでもロングボールをゴール前に放り込んで、面白くなかった」とバッサリ切り捨てた。スローインと同じように扱うチームもあったが、日本をはじめ、いくつかのチームがロングボールを多用したことが不評となり、正式に採用されることはなかった。

 

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