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【スポーツ史 平成物語】

「つぶし屋」に感じていたストレス 戸田和幸が語る日韓W杯の裏側

2018年11月28日 紙面から

サッカー日韓W杯の思い出について話す戸田和幸=慶応大日吉キャンパスで(平野皓士朗撮影)

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第6部 サッカー編(2)

 2002(平成14)年のサッカーW杯日韓大会。列島を熱狂の渦に巻き込んだ日本代表の中に、赤色のモヒカンヘアで異彩を放っていた男を覚えているだろうか。守備的ミッドフィルダー(MF)として日本の全4試合にフル出場した戸田和幸(40)だ。確かな戦術眼と精緻な技術、恐れ知らずのプレースタイルとかたくななまでの犠牲心で、華やかなチームを陰日なたで支え続けた。何を思い、何を感じていたのか−。躍進の心臓部を担った男の、もう一つの物語を紹介する。 (文中敬称略)

 今でも鮮明に覚えているという。2002年6月4日、1次リーグ初戦・ベルギー戦。ロッカーを出て、埼玉スタジアムのピッチへ続く階段を上がった瞬間、戸田は異様な空気に包み覆われていくような感覚に陥った。

 「すごかったですもん。空間の熱気というのか、殺気、狂気みたいな、あんな大きな声援は聞いたことがない。違う世界に来た感じですよね。埼スタで日本代表の試合をやったこともあるし、リーグ戦の試合をやったこともある。同じくらい満員のスタジアムでやったこともあったけど、ベルギー戦は異常でしたよね。熱気が異常でした」

 初の自国開催W杯。言葉にできぬ重圧、肌を刺すような緊張感とともに、いや応なく降り注がれる期待、結果に対する責任が膨れ上がった。その一方で、高揚する自らを、チームを、俯瞰(ふかん)するような冷静さも持ち合わせていた。

日本−ロシア W杯初勝利を飾り、大観衆とともにピッチ上で喜び合う日本代表イレブン=6月9日、横浜国際総合競技場で(笠原和則撮影)

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 「ブラジルが自国でやるのとは意味が違う。僕らはプレッシャーはあるけど、ない。ないけど、あるみたいな感じだから。初めてのものを、自分たちがつくるというモチベーションの方が強かった。ヒデさん(中田英)は背負っているものが大きいから(重圧が)あったのかもしれないけど、僕は納得できる準備ができたので、あとは『やるだけだな』というところに気持ちを置けたので、思い切ってできましたね」

 「フラット3」が代名詞だったチームにあって、トルシエ監督から戸田への指示は「あまりなかったですね。要は“掃除しろ”っていうだけだったから」。戸田は豊富な運動量とスプリントで広大なエリアを駆け回った。「自分が仕事をできなければチームは破綻する」と自らを強烈に突き動かし、相手の攻撃の芽を次々と摘んでいった。涼しい顔で激しく、厳しいプレーを重ねた裏側では「下がらないで、ずっとプレッシング。強度も高かったし、きつかったです。相当、きつかったです」と言う。

 中田英、松田、柳沢に加え、稲本、小野ら黄金世代を含む豪華な面々の中で、戸田は闘志むき出しの荒々しいプレースタイルから、メディアやファンから「つぶし屋」と呼ばれた。

 「つぶし屋とかよく言われたけど、『何のスポーツを見て言ってるんだ』って、ずっと思っていました。局面的に(プレーの)強度が出て、相手からボールを奪う、ファウルで止める時もありました。だけど、その局面をつくること自体が『インテリジェンスじゃねえの』ってずっと思っていました。(ピッチの縦横)105メートル×68メートルで、どうやって『つぶす』という局面をつくっているのか。『もっと勉強しやがれ』って、ずっと思っていたんです。サッカーはそんな野蛮なものではないし、すごくロジカル。空間の奪い合いだったり、陣取り合戦みたいなところもある。局面だけ見ていると、バチーンって行ったら、『つぶす』いう話になるんだけど、どうやって22人でサッカーをしていて、その局面をつくっているんですかって話だから。当時はサッカーを語れる人が全然いないから、僕はストレスを抱えていたんでしょうね」

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 決勝トーナメント1回戦の相手は難敵のトルコだった。トルシエ監督は1次リーグ全3戦で先発させた柳沢と鈴木の2トップに代え、1トップに西沢、やや後方に三都主アレサンドロを配置する“奇襲”に打って出た。

 「当日の試合前に知ってビビりました。前日の時点で『これで行くよ』とは言われてなかったと思うから。『おっ?』『あれっ?』って感じにはなった気はします。ただ、西沢さんは盲腸をやってコンディションは万全ではなかったはずだから。アレックス(三都主)に関しては、あのフリーキックが入っていれば、あいつがヒーローだったんだから。(先発変更が失敗だったというのは)結果論ですよ。監督の中では、相手を少し惑わせるというのがあったのかもしれないし、『ボーナスステージだから遊んじゃえ』っていう感じではなかったと思います」

 結果として、チームの歯車は微妙に乱れた。CKからユミトダバラにヘッド弾をたたき込まれた。決勝トーナメント進出という日本サッカー史の新たな1ページを記しながら、不完全燃焼の印象を残してW杯から姿を消した。

 雨が降り続いた宮城スタジアムで、戸田は大粒の涙を流していた。

 「覚えてないけど、悔しかったんじゃないですかね。僕は4試合でいっぱい、いっぱいだったなあ。身体的にもメンタル的にも、もうあれ以上できなかったですね。あの次の試合までやっていたら、僕は駄目だったんじゃないかな」

 「何を投げ打ってでもW杯に出たいと思いました。ピッチに立てるか、立てないかでも人生が変わる。スタメンで出るか、途中から出るかでも人生が変わる。そういう意味では、スタメンで最後まで出て、自分が望む最高のものを表現できたと思います。その瞬間に自分がやれることは全部出したと思います。あれ以上はできなかったかな」

 23人のメンバーはただ一つの目標のためだけに強く結束していた。激しい生存競争の中で、互いを高め合い、助け合った。最後はアルコールの力も借り、明るく騒いでたたえ合ったという。

優勝トロフィーを掲げるDFカフー(上)らブラジル代表=6月30日、横浜国際総合競技場で(横田信哉撮影)

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 「最後の日はみんなで朝までお酒を飲みましたね。二日酔いで解散したんじゃないかな(笑)。できることは全部やったし、ある程度は目標も達成した。勝ち点も取ったし、勝ったし、グループリーグも突破した。最後は残念だったけど、そこまでのチームの歩みを見てみると、いい競争もあったし、全員で全速力で走ってきた感じだったから、最後はお通夜みたいな感じでなかったです。特別なチームの一つになるんですかね。選手の質、意識レベルも高かった。何より目指すところが明確だったから一切の妥協がない。そこに到達できない選手は自然にいなくなるような場所だった。甘えもない。でも、支え合うというのは良かったと思いますね」

 W杯での活躍を転換点に、戸田はイングランドの名門トットナムへの移籍を勝ち取り、欧州でのプレーをかなえた。国内外のクラブを渡り歩き、2013年に現役を引退後、今は指導者への道を歩み始めている。

 「W杯から欧州に行くチャンスが生まれて、成功はしてないけど、広い世界を見て、学んだことはたくさんあります。サッカーを通して世の中を知ったり、世界を見て回ったりすることができました。W杯に出ていなければ、国内だけのキャリアで終わったと思いますから、全然違うと思います。僕は1年半と短いんですけど、欧州に行って良かったなと思います。今度は指導者として、何か形になるものをつくりたいなというのが、今の目標ですね」 (構成・松岡祐司)

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初勝ち点ゲット 鈴木のつま先

 【1次L第1戦・ベルギー戦】後半12分に相手FKから先制を許した日本だったが、その2分後、MF小野の前線への浮き球パスを追ったFW鈴木が相手DFをかわし、さらに前に出てきた相手GKより先にボールに触れて押し込み=写真、試合は振り出しに。同22分にはMF稲本のゴールで勝ち越しにも成功したが、同30分にFKから再び失点。2−2で引き分けたが、日本のW杯史上初の勝ち点1を獲得した。

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W杯初勝利 稲本が決勝弾

 【1次L第2戦・ロシア戦】試合が動いたのは後半6分。DF中田浩が左サイドを駆け上がり、中央にクロス。相手DFを背負う形で待ち受けていたFW柳沢が左足で相手DFライン裏にはたくと、それに呼応して“追い越す”動きを見せたMF稲本が拾って右足でゴール右上にシュート=写真。オフサイドぎりぎりの両チーム通じて唯一の得点が決勝点となり、日本がW杯初勝利、勝ち点を4に伸ばした。

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1次L首位通過 森島だ!ヒデだ!!

 【1次L最終戦・チュニジア戦】勝てば無条件で1次リーグ首位通過が決まる日本は後半3分、途中出場のFW森島が先制弾=写真。MF中田英のFW鈴木へのスルーパスを、相手DFがクリアしそこね、こぼれたところに走り込んで右足を振り抜き、ゴール左に蹴り込んだ。同30分にはDF市川の右クロスに中田英がダイビングヘッドで合わせて加点。そのまま逃げ切った。

決勝トーナメント1回戦・トルコ戦の後半、ドリブルする戸田=6月18日、宮城スタジアムで(横田信哉撮影)

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奇襲2トップ不発

 【決勝T1回戦・トルコ戦】前半12分、不用意なバックパスから与えたCKが結果、致命傷となった。右CKにDFユミトダバラが頭で合わせてトルコが先制。この最少得点を堅守で決勝点に仕立て上げた。日本は1トップ気味に西沢、そのやや後方に三都主という“変則2トップ”が不発。その三都主が前半42分に放った直接FK(ほぼ中央、約18メートル)もバーをたたくなど、最後までゴールが遠かった。

 ▼戸田和幸(とだ・かずゆき) 1977(昭和52)年12月30日生まれ、東京都町田市出身の40歳。現役当時は178センチ、74キロ。MF/DF。桐蔭学園高(神奈川)から96年に清水入り。以降、2003年にトットナム(イングランド)に移籍し、翌04年はデンハーグ(オランダ)でプレー。その年の第2ステージから清水に戻った。以降、現役引退を表明した13年11月まで東京V、広島、千葉などでプレー。日本代表では20試合出場1得点。02年W杯日韓大会では全4試合にフル出場。赤く染めたモヒカン刈りで注目を集めた。

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▼フラット3

 1998〜2002年に日本代表を率いたフランス人監督、フィリップ・トルシエが用いた守備陣形。3バック(3人のDF)がゴールラインと水平に並び、ラインを高く保って中盤をコンパクトに保つことで守備の圧力を上げ、高い位置でのボール奪取、ショートカウンターを可能にする。ただ、オフサイドトラップがかからなかった場合など、3バックの裏のスペースを取られるともろく、相手FWとの駆け引き、的確な守備ラインの上げ下げが求められる。

 

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