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【スポーツ史 平成物語】

悲願Vへ錦織圭に足りないもの 辻野隆三が分析するトップとの差

2018年9月22日 紙面から

テニスの全米オープン男子シングルスで優勝し笑顔のマリン・チリッチ(右)と、敗れて悔しそうな錦織圭=2014年9月8日、ニューヨークで(ロイター・共同)

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第4部 (4)テニス

 平成の時代が生んだ日本男子最高のテニスプレーヤー、錦織圭(28)=日清食品。2014(平成26)年の全米オープン(OP)で決勝に進み、世界に迫ったが、惜しくも優勝は逃した。なぜそこまで進出できて、そして優勝には何が足りなかったのか。錦織と同じように米国でテニス修業に励んだデビスカップ元日本代表で、本紙評論家としておなじみの辻野隆三(49)に、これまで見てきた錦織について語ってもらった。 (敬称略)

 辻野が初めて錦織のプレーを見たのは05(平成17)年秋、米テキサス州ダラスでの大会だった。18歳でデルレイビーチ国際テニス選手権でツアー初優勝を飾り、衝撃のデビューを果たす3年前だ。

 「IMGアカデミーで修業していた彼が、プロの大会に出始めた時だった。大柄のビッグサーバーと対戦、ポイントを取られるたびに、本気で悔しがっていた。悔しがっている、その態度が印象深かった」。この「負けず嫌い」は、トップ選手に絶対必要な資質。早くから錦織は頭角を現していた。

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 「現地でも面白いテニスをすると評判だった。まだパワーはなかったが、(現在錦織のコーチの)マイケル・チャンをほうふつさせるストローク。俊敏で、フォアのタイミングは当時からチャンより速かった」と辻野は振り返る。

 日本の男子は、1995(平成7)年のウィンブルドン選手権で、サーブ&ボレーの松岡修造がベスト8に進出したのを最後に、長く沈滞していた。再び世界と戦える日本人選手を育てようと立ち上げられたのが、米国への留学を支援する「盛田正明テニス・ファンド」だった。錦織は中2の03年(平成15)の夏、同期生3人とともに米国に渡った。

 「留学は甘くなかった。年ごとの目標に届かないと帰国させられた。非常に厳しかった」と辻野。盛田ファンドはこれまで19人の留学生を送り出したが、卒業までこぎ着けたのは錦織と、西岡良仁(22)=ミキハウス=の2人だけだ。

 米国に留学してから11年。14年の全米OP。錦織が頂点に最も近づいた大会だった。

 「実は、右足の親指のけががひどくて、大会前は1カ月試合に出ていなかった。チャンの説得で渋々出場した。その分、欲がなかった。決勝まで勝ち抜けた一番の理由はそこだった」

 錦織は第10シード。けがからの復帰直後で、序盤は探り探りだったが、勝ち抜くにつれて自信をつけ、調子も上向いた。

 「4回戦でライバルのラオニッチ(第5シード)に3−2で勝ちきった。ここが大きかった。準々決勝のバブリンカ(第3シード)戦は、挑戦者として挑めた。ここも3−2で勝った」

 そして準決勝、第1シードのジョコビッチ戦。直近のバーゼルでの対戦では、ジョコビッチが肩を痛めていたのもあって錦織が勝った。

 「ジョコビッチは、直前の対戦を意識していたせいか、はっきり言ってガチガチだった」。ジョコビッチが苦手な暑い日中という状況も味方し、3−1で勝った。

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 ついにたどり着いた決勝。しかし、0−3でチリッチ(第14シード)に完敗した。

 「チリッチが向こうの山の準決勝でフェデラー(第2シード)に勝ったとき、いやだなと思ったのを覚えている。錦織はフェデラーが相手だったら、きっと勝った。今回の大坂さんがセリーナに勝ったのと同じ。『挑戦者』『負けて当たり前』で挑めるからだ」

 優勝に足りなかったのは、復帰からの連戦で体力的な限界もあったが、準決勝を終えて1日休みがあり、相手もビッグ4(ジョコビッチ、フェデラー、ナダル、マリー)ではない。錦織は「もしかしたら勝てる」と考えてしまったはずだと、辻野は振り返る。技術が拮抗(きっこう)するトップ選手の戦いは、メンタルが勝敗を分けることも多いのだ。

 錦織は、その後世界ランキング4位まで上りつめ、トップ10によるATPファイナルにも出場。手首のけがで昨年のウィンブルドンから半年以上休んだが、今年は復活し、ランキングも12位まで戻してきた。

 悲願の四大大会制覇へ、何をしたらいいのか。技術ではすでに世界のトップにいると見て間違いない。錦織の強さの秘密を、辻野さんは「(1)打つタイミングを含めたスピードの速さ(2)振られてもバランスが崩れない守備能力(3)どこからでもエースが取れるフォアハンド」と分析する。ただし課題はある。今年の全米OP準決勝では、ジョコビッチが錦織を研究して、錦織の武器であるリターンの読みをことごとく外してきた。

 「錦織もライバルとなる特定の相手を専門に分析する人が必要かもしれない。基本的には、今のチャン・コーチと間違ったことをやっているとは思わない。ジョコビッチともぎりぎりの差」という。平成という時代での四大大会制覇の夢は、まだ来年1月の全豪オープンが残っている。錦織がその夢をつなぐ。 (山内明徳)

 ▼錦織圭(にしこり・けい) 1989(平成元)年12月29日生まれの28歳。松江市出身。178センチ、75キロ。07年に17歳でプロ転向。14年に日本男子で2人目のツアー大会制覇を果たした。14年全米オープンで男女を通じて日本勢初の四大大会シングルス準優勝。16年リオデジャネイロ五輪シングルス銅メダル。世界ランキングは自己最高4位。ツアー通算11勝。米フロリダ州に練習拠点を置く。青森山田高出、日清食品。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

 ▼辻野隆三(つじの・りゅうそう) 1969(昭和44)年2月24日生まれの49歳。東京都小平市出身。元プロテニスプレーヤー、NHK解説者。東京・堀越高では全国高校総体で個人、団体の2冠。92、94、95年デビスカップ日本代表、94年アジア大会混合ダブルス準優勝。日本テニス協会ではツアー機構事業推進本部プロツアー委員長などを務めている。妻は高校時代の同級生で歌手の荻野目洋子。3女がいる。

全米オープンテニス初制覇を果たした大坂なおみ=8日、ニューヨークで(AP・共同)

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守りの堅さで大坂快進撃期待

 大坂なおみ(20)=日清食品=は今月、全米オープンでセリーナ・ウィリアムズを決勝で破り、日本史上初の四大大会優勝を錦織より先に成し遂げた。決勝までの7試合を失セットわずか1という圧勝。日本は“大坂フィーバー”に沸いた。

 東レPPOに出場するため帰国した大坂はファンや報道陣に熱く迎えられた。辻野は「昨年末から大坂に付いたサーシャ・バイン・コーチの存在が大きい。攻撃が強調される彼女だが、実はテニスに重要な守りの堅さが本物になった。もう一度、四大大会のタイトルを取ったら、新女王になる道を歩むだろう」と期待している。

 

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