トップ > 中日スポーツ > スポーツ史 平成物語 > 記事

ここから本文

【スポーツ史 平成物語】

W杯南ア撃破もフィーバーも浮かれない 五郎丸はラグビーを盛り上げ続ける

2018年9月21日 紙面から

南アフリカ戦の後半、PGで狙いを定める五郎丸=2015年9月19日、英南部ブライトンで(共同)

写真

第4部 (3)ラグビー

 2015(平成27)年、ラグビーW杯のイングランド大会で、日本代表は1次リーグ初戦で優勝候補の南アフリカを破る“史上最大の番狂わせ”を演じた。スコットランドには敗れたものの、サモア、米国も撃破し、日本代表初の3勝を挙げた。一方で、3勝を挙げながら1次リーグ敗退というW杯史上初めての悲劇も加わり、一気にラグビーブームが巻き起こった。その中心にいたのがFB五郎丸歩(32)=ヤマハ発動機。キックを蹴るルーティンが社会現象となった「五郎丸フィーバー」を振り返る。

 史上最大のジャイアントキリングが、日本人をラグビーという競技に注目させた。そんな中でも五郎丸は特別だった。プレースキックという観客の視線を一点に集める瞬間に、独特のルーティンから正確無比のキックを繰り出す。加えて端正なマスク。1次リーグ敗退が決まって迎えた最終の米国戦で勝ち、今大会2度目のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたあと、「準々決勝に行けなくて…」と流した大粒の涙−。スターになる要素はそろっていた。

 それでも、帰国後のフィーバーは想像をはるかに超えていた。まずは所属するヤマハ発動機の練習風景が一変。静岡県磐田市のグラウンドには数人が見学に来る程度だったのが、五郎丸が初合流した10月27日の練習には100人を超える見学者や40人の報道関係者が詰め掛けた。トップリーグ(TL)開幕に向けた東芝との練習試合の会場は、300人しか入れない練習グラウンドから、浜松市の遠州灘海浜公園球技場に変更された。平日にもかかわらず、3000人の観衆にテレビカメラ11台を含む報道関係者50人が熱視線を送った。

米国戦でのマン・オブ・ザ・マッチのトロフィーを手に涙ぐむ五郎丸=10月11日、グロスターで(共同)

写真

 五郎丸のTL初戦のトヨタ自動車戦でも狂騒曲は続いた。会場は、名古屋市・パロマ瑞穂ラグビー場。例年なら集客に四苦八苦するが、1カ月以上前に前売り券は予定枚数を完売した。運営する愛知県協会では警備を通常の約3倍の100人、補助員も約5倍の140人に増員。アフターマッチファンクション(試合了後に両チームの選手らが飲食しながら交流するラグビー独特のイベント)の会場を会見場に変更するなど対応に追われた。試合当日は開始の7時間以上前から行列ができ始めた。小雨の中、ラグビーでは同会場最多の8676人が観戦した。その中で、五郎丸は史上2人目のリーグ通算1000得点を達成した。

 このシーズンのTLは異様な雰囲気だった。従来の試合後の会見には両チームの監督、主将が出席した。しかし、この年は必ず五郎丸の単独会見が開かれた。毎試合のように前売り券の販売状況が話題となり、五郎丸が参戦する先々で、観客動員数が更新された。

 「お客さんがいっぱいになっているか、そういうところを(国際統括団体の)ワールドラグビーは見ている」。五郎丸は常々言っていた。19年の自国開催のW杯へ、集客力は不可欠だ。そこで「スポットライトが当たっているのが自分だから」と嫌な顔一つせずに、対応を続けた。

 競技だけではない。「五郎丸ポーズ」が15年の流行語に選ばれた。多数のCMにも登場し、五郎丸の姿を見ない日はないほどだった。16(平成28)年に亡くなった元日本代表の平尾誠二さんがファッション雑誌にモデルで登場してアマチュア規定に違反したと、日本代表候補から外された30年前には考えられない状況だ。私生活にも影響があった。五郎丸は「子どもの運動会に出席したら週刊誌に載った」と苦笑い。W杯を境に、ラグビーを、そして五郎丸を取り巻く環境が変わっていった。

(左)試合前に五郎丸ポーズをする人たち (中)五郎丸歩や結婚した福山雅治と吹石一恵らをモデルにした「変わり羽子板」 (右)五郎丸のポーズをまねるドアラ

写真

 TL3位で終えたシーズン後、16年に五郎丸はスーパーラグビーのレッズ(オーストラリア)に移籍。同年夏にはフランスリーグ1部の強豪・トゥーロンへ移籍した。けがもあって、いずれのチームでも目立った活躍はできなかった。ヤマハに復帰した昨夏、初めて2人で話す機会に恵まれた。「小学校からポジションが確約されていたが、試合に出られない時期を経て、今後の人生へもののとらえ方が広くなった気がする」。豪州、フランスでの海外挑戦を前向きにとらえていた。

 「ラグビー界ではアジア人が世界で活躍した前例がなかった。環境が整っていないリスクがあったが、飛び込んで良かった。静かな環境でラグビーができて、キックを修正するなどいろんなチャレンジをして帰ってくることができた」。言葉の壁という表面的な問題以上の困難もあった。そのことで、日本人の温かさ、寛容さも実感できた。

PG前の「お祈りポーズ」からジャージーの裾を下に引っ張る「新ポーズ」に変えた五郎丸=静岡県磐田市のヤマハ大久保グラウンドで

写真

 “五郎丸ポーズ”の封印について聞くと「キックばかりにフォーカスしても、ラグビー自体は盛り上がらない。19年W杯まで時間がないし、ラグビーを見る人も、記者も、もう少し勉強してほしいなというのが僕の希望ですね」。五郎丸はふわりと笑った。見たことのない柔和な表情だった。

 日本代表には15年W杯後、1度も呼ばれていない。W杯日本大会へ向け、「日本代表復帰は意識していない」と話す一方で、「自分は国内の盛り上がりをサポートしたい」と、大会の側面支援を意識している。

 五郎丸フィーバーは終わった。しかし、五郎丸自身は喧噪(けんそう)の前も最中も今も、ラグビーへの情熱を燃やし続けている。 (伊東朋子)

 ▼五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ) 1986(昭和61)年3月1日生まれ、福岡市出身の32歳。185センチ、100キロ。3歳でラグビーを始め、佐賀工高時代は3年連続で花園に出場し、いずれも8強。早大時代の2005年に日本代表デビュー。08年にトップリーグ(TL)のヤマハ発動機入り。15年のW杯では全4試合にフル出場し、チーム最多の58得点。16年にスーパーラグビーのレッズ(豪州)とフランス1部リーグのトゥーロンに所属。17年にヤマハ発動機に復帰した。今季第1節のコカ・コーラ戦でTL最多得点記録を更新し、現在1205得点。

写真
 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ