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【スポーツ史 平成物語】

新ルール適用、神鋼V7スタート・・・ 平成直前 日本ラグビー激動の8日間

2018年9月20日 紙面から

全国社会人大会で初優勝、優勝盾を掲げる神戸製鋼の平尾=1989年1月10日、秩父宮ラグビー場で

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第4部 (2)ラグビー

 昭和から平成へ−。その激動の影響を最も受けたスポーツはラグビーだったかもしれない。昭和天皇が崩御した1989(昭和64)年1月7日に開催予定だった全国高校大会(花園)決勝は中止され、茗渓学園(茨城)と大工大高(現常翔学園)は両校優勝。平成となった同11日に延期された全国大学選手権決勝では大東大と明大が引き分け、両校優勝ながら「トライ数の多い方が上位進出」という新ルールが初適用され、大東大が日本選手権(同15日)へ進出した。同じく10日に延期された全国社会人大会決勝では神戸製鋼が初優勝し、栄光の7連覇に向けスタートを切った。平成の始まりは、ラグビーに何をもたらしたのだろうか。 (敬称略)

 平成が始まった1989年1月8日。新聞が「平成」の日付入りで初めて発行された日、中止となった花園の決勝を各紙は「半旗の両校V」「『平成2年』に後輩達よ連覇を」「笑顔も涙もない表彰式」「思いは同じ『戦いたかった』」などの見出しで伝えた。

1989年1月8月付の東京中日スポーツ(右)と中日スポーツ

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大東大元監督

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 「高校が中止になったからさ。俺たちも試合しないで、両方優勝になるかなって思ったんだよ」

 冗談めかしてそう振り返ったのは、大東大元監督(現特別顧問)の鏡保幸(68)だ。

 「そしたら、延期してでもやるって聞いてさ、『えー?』って。ガックリしたよ」

 大学選手権も高校と同じ7日に決勝を行う予定だった。高校とは異なり、東京・国立競技場での試合は11日に延期され、決勝を戦った大東大と明大は13−13で引き分け。高校と同じく、両校優勝となったのだが…。

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北島忠治

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 「明大の北島先生(忠治監督=故人)にあいさつに行ったら、『日本選手権頑張れ』と言われて。オレ『抽選じゃないんですか?』と聞き返したら『トライ数だよ』って」。トライ数は2−1で大東大が上回っていた。

 日本のラグビーではそれまで、トーナメントの大会で引き分けがあった場合、抽選で次戦へ進むチームを決めていた。涙あり、歓喜あり−。そんな抽選というドラマに彩られてきた昭和のラグビー史が終わった直後、平成最初の決勝で、新ルールが初適用されたのだ。

 「ルールが変わっていたことは知っていたけど、頭から抜けてたんだね。当時87歳の北島先生の方がさえてた」(鏡)

2本目のトライを挙げた大東大のラトウ。このトライが明暗を分けた

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 新ルールはその後、日本ラグビーの節目節目で爪痕を残す。今や大学ラグビーの絶対王者となった帝京大は、初優勝を飾った2009(平成21)年度の大学選手権1回戦で関東学院大と引き分けながら、トライ数3−2と上回って2回戦に進出。さらに早大、明大、東海大を破って初優勝を飾ると、その後は一度も王座を明け渡さず、9連覇と勝ち続けている。

 社会人では、新たな元号とともに新王者が生まれた。8日から10日に延期され、東京・秩父宮ラグビー場で行われた全国社会人大会決勝は、3度目の決勝に進んだ神戸製鋼が前年王者の東芝府中を破り、初の王座に輝いた。当時の神戸製鋼は監督制を廃止しており、主将がすべてを仕切っていた。このシーズン、当時25歳の若さで主将に就任したのが、平尾誠二(故人)だった。

 「スクラムは弱い。ゴールキックは入らない。『こんなチームが勝ってエエんか?』と言われそうだけど、ラグビーの中身には自信があります」

 V1を達成した日の平尾の言葉は、自らが築く黄金時代の予言だった。神戸製鋼は同15日の日本選手権でも初優勝を飾り、のちに両大会で7連覇を達成する。

 ボールを動かし続け、スペースを攻略する攻撃ラグビーは、平成の30年間を貫く日本ラグビーの背骨となった。平尾はこの初優勝から4カ月後に日本代表主将に就任。91(平成3)年のW杯でジンバブエを破り、記念すべき大会初勝利を飾る。

 平成の日本ラグビーを貫いたもうひとつの潮流が国際化だ。中でも、神戸製鋼に3連覇目から加わったWTBイアン・ウィリアムズの活躍が象徴するオーストラリア・ラグビーの波は、のちに15(平成27)年W杯で、ヘッドコーチとして日本代表を南アフリカ撃破に導いた同国出身のエディー・ジョーンズ(現イングランド代表監督)まで脈々と連なっていく。

 世紀をまたいで30年間にわたった平成の時代。日本ラグビーが激動した足跡は、元号が変わった最初の8日間に集約されていたのかもしれない。 (大友信彦)

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花園「幻の決勝」26年後に実現

両校優勝となり優勝旗を受け取る茗渓学園・中川(左)、大工大高・密原=1989年1月7日、花園ラグビー場で

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 ホントに戦ったら、どっちが勝った? ラグビーファンの間で語り継がれた「幻の決勝」が実現したのは、中止から26年の時を経た15年4月だった。互いに40代にさしかかった茗渓学園と大工大高のメンバーが、あの日と同じ大阪・花園ラグビー場に集結。母校のジャージーに身を包んで、25分ハーフの“決着戦”を戦った。

 当日は、幻の決勝に先発予定だったメンバーのうち、大工大高は12人、茗渓学園は14人が集まった。大工大高はパワフルな縦突進、茗渓学園は果敢な外展開と、スピードは衰えたとはいえ、当時のスタイルを披露した。

 試合は64−19で大工大高の勝利。同校から明大を経て神戸製鋼で活躍した元日本代表CTBの元木由記雄(47)=京産大コーチ=は試合後「決着は26年前についているんです。両校優勝という決着が。今日はみんな元気で楽しくラグビーできたのが良かった」と笑顔で話した。

 

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