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【スポーツ史 平成物語】

WBC韓国との激闘が始まった 準決勝、福留3ランでついに撃破

2018年7月26日 紙面から

2006年3月、韓国との準決勝で代打福留が右越えに先制の2ランを放つ(沢田将人撮影)

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第2部 プロ野球編(3)

 第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されたのは、2006(平成18)年だった。海の物とも山の物ともわからなかった国際大会は、韓国との激闘、米国戦の誤審などで一気に盛り上がった。今なお語り草なのが3度目の対決で韓国を破った準決勝。福留孝介(当時中日)の代打2ランから猛攻が始まり、王ジャパンは世界一へと駆け上がった。 (文中敬称略)

 大リーグでも有数のピッチャーズパークとして知られるペトコ・パーク(サンディエゴ)だが、打った瞬間に誰もが本塁打を確信した。韓国との準決勝。その後も続く宿敵との死闘の歴史は、この大会から始まった。両軍スコアレスの7回。1死二塁で監督の王貞治が動いた。今江敏晃(現・年晶)の代打に福留を送る。

 「代打といっても前の日までは3番を打っていた人間。(下手投げの)金炳賢には左打者が合うと思っていた」。王の期待に福留はフルスイングで答えを出した。3球目を右翼席に突き刺してから打線は一気に5得点とつながった。

 「(先頭で二塁打の)松中(信彦)さんのヘッドスライディングでチームの雰囲気が高まったんです。あれで何も感じない人間はいないでしょ。とにかく最低でも三塁に進めよう。そのためには何としても引っ張ろう。そう思った打席でした」

 主軸として期待されながら、第2ラウンドまでの6試合で19打数2安打。アナハイムまで駆けつけた打撃の師と仰ぐ佐々木恭介と会食し、アドバイスを求めるなどもがいていた。

 ただ、王は先発を外すことを告げると同時に「必ず大事な場面で行くから」と声をかけた。そしてPL学園の先輩・宮本慎也からの「孝介は孝介であればいいんや」という言葉も悩みを振り払うきっかけになった。福留は松井秀喜の辞退による追加招集でメンバー入りした。同じく井口資仁の辞退で選ばれたのが宮本。この言葉には「オレたちは代役になる必要はない」という思いが込められていた。

 あれから12年。今でこそ「WBC」は野球ファンに広く認知されているが、当時は「大リーグによる大リーグのための大会」とも言われ、監督の人選からして難航した。そんなとき「どんな大会にも初めてはある。問題点はあるだろうが、やりながらいいものにしていけばいい」とソフトバンクの現役監督でありながら、重責を引き受けたのが王だった。

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 これに「世界の王選手を世界の王監督にしたい」とイチローがはせ参じた。翌年に大リーグに挑む松坂大輔も「日本の野球が世界一だということを証明しに来たのであって、自分をアピールするために出場したのではない」と言い切った。イチローが「向こう30年は日本に勝てないと思わせる勝ち方をしたい」と意気込んだ東京での第1ラウンドは、韓国戦で李承ヨプに逆転2ランを浴びて2勝1敗で通過。チームは第2ラウンドが行われる米国へ飛んだ。その第1戦で起こったのが「ボブ・デービッドソン誤審事件」だ。

 イチローの先頭打者弾で始まった米国戦は、同点のまま8回を迎える。1死満塁から岩村明憲の左翼へのやや浅い飛球で、三走の西岡剛が本塁をねらう。犠飛で勝ち越し。デレク・ジーターの「離塁が早い」というアピールに、塁審はセーフと判定した。ところが米国監督の抗議を受け、デービッドソン球審が「アウト」をコールした。三塁コーチとして視認した辻発彦が「今も鮮明に覚えている。一生、忘れない」と話し、米国内のメディアも「誤審」と報じた判定は覆らず。9回にサヨナラ打を浴びた。ただ、2死からの敗戦だったことが、のちに大きな意味をもつ。

 メキシコには勝ったが、韓国に再び敗れ1勝2敗で終了。3月16日のメキシコ−米国戦の結果を待つことになった。日本の準決勝への進出条件は「メキシコが2点以上取って勝つこと」。1勝2敗で3チームが並んだ場合、対象チームの失点率で順位を決定する。ただし、メキシコはすでに可能性は消えており、前日はディズニーランドで休日を楽しんでいた。王でさえ「99%ないと思っていた」という中、奇跡が起こった。この試合でもデービッドソン審判の「誤審」にメキシコナインが燃えた。2−1。失点率わずか0.01差は、米国戦が9回2死からのサヨナラ負けだったことがモノを言ったのだ。

キューバを倒して優勝し、胴上げされる王監督(川柳晶寛撮影)=ペトコ・パークで

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 中華料理店で吉報を受けた王は「正直者には神が宿るんだな。神風が吹いた」と進出を喜んだ。テーブルには「米国を飲み干す」の思いで空けたバドワイザーのビンが9イニングのアウトと同じ27本並んでいた。最後に出たフォーチュンクッキーには「Your perspective will shift」と書かれていた。「未来は変わる」。九死に一生を得た王ジャパンの前には、光り輝く道が開けていた。

 「アナハイムで負けた直後、韓国の選手がマウンドに太極旗を立てましたよね? もちろん僕らは見ていました。でも誰からとなく言ったんです。『次は絶対に勝とう。でもオレたちはあんなことはやらないぞ』ってね」。和田一浩が振り返る。あるはずのなかった3度目の韓国戦。鮮やかに倒した。

 「諸君はすばらしい。今日はとことんやろう!」。王の掛け声でシャンパンファイトは始まった。サンディエゴでメジャー組と別れ、凱旋(がいせん)帰国する機内で王が口にしたのはバドワイザーではない。「花の舞」。静岡の地酒を飲み、眠りについたという。 (特別取材班)

2009年3月、韓国との決勝でイチローが中前に勝ち越しの2点打を放つ。投手林昌勇=ドジャースタジアムで(共同)

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第2回は決勝で激突、イチロー連覇打

 日本代表が「サムライジャパン」と命名された2009(平成21)年の第2回WBC。松坂が2大会連続MVPとなったが、侍の顔は良くも悪くもイチローだった。東京での1次ラウンドは不振。ペトコ・パークの2次ラウンドに進むと、深刻度はさらに増した。

 短期決戦ではあってはならない大スランプ。迎えたキューバとの3戦目は、負ければ準決勝進出が消える大一番。イチローは自らの意思で送りバントを試みたが、胸元のボールにのけぞるような形でバットを出し、三飛。主役の復調を祈るように待つベンチも凍り付く最悪のシーンだった。

 「折れかけていた心が、あれで完全に折れてしまった」(イチロー)

 だが、これ以下はないというほどの状況が「底」となり、その後は巧打が出始めた。チームも勝利を重ね、決勝は1次ラウンドから9試合中、5度目の対戦となる韓国。9回、ダルビッシュ有が同点打を浴びて延長に。続く10回、2死一、三塁でイチローの第6打席が巡ってきた。

 一走の盗塁で二、三塁になっても敬遠はない。国の威信をかけたような日韓バトル。イチローは追い込まれた後、横手投げの林昌勇の厳しい投球を次々にファウル。ワンバウンドするボールまでバットに当てて粘り、最後は中前打で決着をつけた。

 一夜明け会見では「苦しさの次には、何とも言えない痛みが来た」と胸中を吐露。「おいしいとこだけ頂きました」と笑顔も見せたが、まもなく胃潰瘍が判明。それほどタフな大会連覇だった。

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