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【スポーツ史 平成物語】

東京国際大・古葉VS慶大・江藤 大学選手権初のプロ出身監督対決

2018年12月26日 紙面から

慶大に敗れ、引き揚げる東京国際大の古葉竹識監督=2011年6月11日、神宮球場で

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第7部 アマ野球編(5)

 ともに元プロ野球選手で、監督やコーチとしての指導歴も豊富な両監督が見応えのある2時間52分の熱戦を演出した。2011(平成23)年の第60回大学選手権準決勝で、大会史上初の「プロ出身監督対決」が実現。東京国際大監督の古葉竹識(82)と慶大監督の江藤省三(76)が互いの意地とプライドを懸けた一戦を、両者の証言で振り返る。 (文中敬称略)

 東京六大学リーグの名門・慶大を相手に、東京新大学リーグで初優勝したばかりの新鋭・東京国際大が優位に試合を進めた。1回に先制。1点を追う3回には3、4番の連続適時打などで3点を奪った。「勝てるかな、という試合だった」と古葉が話したように、堂々とした戦いぶりで過去3度の優勝を誇る慶大を慌てさせた。

 そして、プロで広島を4度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた古葉の実績は、敵将を振り回した。江藤は次のように記憶を呼び戻す。「自分の中では、絶対に“古葉野球”をやってくるな、というのがあった。相手打線はそんなに破壊力があると思わなかったし、(慶大投手陣の)竹内大助と福谷浩司(現中日)なら点を取られないだろうと思った。でも、4点を取られた」

 “古葉野球”とは機動力野球だ。広島監督時代には大下剛史、高橋慶彦、山崎隆造ら俊足選手をフル活用。今井譲二のような代走専門に近い選手も生かして得点力を高めた。

 準備も周到だった。東日本大震災の直後に行われたこの大会では、ナイター突入を防ぐためにタイブレーク制が導入された。少しでも戦力差を埋めようと、古葉は新制度の練習を繰り返した。狙い通り1、2回戦は、ともにタイブレークまでもつれた試合に連勝した。

6回から登板し、2安打6奪三振と好救援した慶大の福谷

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 慶大戦で古葉らしさを見せたのが8回裏の攻撃だ。4−4で迎えたこの回、東京国際大は先頭の5番打者が安打で出ると、次打者にバントの上手な選手を代打起用。ところが、3球目に意表を突く盗塁を成功させ、無死二塁と好機を広げた。

 「1点を取るために何とか1死三塁の形をつくりたかった。三塁に走者がいれば内野ゴロでも点を取れる。ゴロを打つ練習はやってきたし、ゴロなら打てるという選手もいた。投ゴロだけは駄目だが…」と古葉。代打の犠打で狙い通りの形をつくった。

 ただ、後続打者が勝ち越し機を生かせなかった。1死三塁で代打の切り札だった主将を代打に起用したが、皮肉にも投ゴロ。次打者も福谷から三振を奪われた。江藤は「8回は、ちょっとあきらめかけた。点を取られると9回に追いつけるかな、というのもあったし、タイブレークなら絶対に負けるという思いもあった」と胸をなで下ろす。結局、慶大が9回に2点を勝ち越し、そのまま逃げ切った。

 古葉にとって無念だったのは、守備が乱れたことだった。2、6回の失点はともに失策絡み。6失点のうち投手の自責点は2点しかなかった。「『リードしているから守らなければ』という気持ちだと硬くなる。プロでもそういうところがあるから、学生だからなおさら。練習はやってきたのだが…」。百戦錬磨の名将も、走攻守の全てを底上げすることは難しかった。

 意外にも、両監督は「プロ出身監督対決」を意識していなかった。「(江藤に対する意識は)なかった。三男が慶大出身ということくらいかな」と古葉。江藤も「やるのは選手。あの試合は、古葉さんと試合をするということでワクワク感が強かった。試合が終わった時も『やった』という感じはなかった」と振り返る。

 2008(平成20)年の就任時からチームを育ててきた古葉が、プロでの経験を生かしながら格上とみられていた慶大を追い詰めた一戦。学生野球は、指導者の占める割合が想像以上に多い。 (堤誠人)

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旧来のメニューすべて疑問視

積極的にプロの練習法を採用

慶大の江藤省三監督=2011年6月11日、神宮球場で

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 プロを経験した学生野球監督の強みは何か。江藤は「具体的な話をすると選手が食い付く」と話す。

 巨人の現役時代は長嶋茂雄や王貞治らと同じ内野手。コーチとしては巨人の原辰徳、ロッテの初芝清、横浜の内川聖一らを指導した。2009(平成21)年11月に慶大の監督に就任。「意識して選手がこっちを向く話ばかりした。王さんや落合博満、イチローの話が多かった」と選手の心をつかむことに腐心した。

 指導ではプロの練習法を積極的に取り入れた。アップから打撃練習や守備練習など、全てのメニューを一日にこなす方法を疑問視。就任直後は捕球練習ばかりの日や送球練習ばかりの日を設定し、約1カ月間は打撃練習をさせなかった。

 素振りの時にバットが波打っていることが気になると、「ロゴマークが見えるのが気に入らない。見えなくなったら打撃練習をしよう」と突き放した。「本当は見えないんだけどね」と江藤。選手が素振りの回数を増やし、少したってからフリー打撃を再開すると、選手は口々に「飛距離が伸びた」と言って驚いた。

 慶大監督就任時は、王から「後に続いていく連中のためにもがんばれ」と励まされたという。大学、高校野球で元プロの監督が珍しくなくなっている現状に「昔は、長嶋さんが息子の一茂を教えても駄目だと言われた。今は夢みたいな時代ですよ」と笑った。

高校野球でも増えた元プロ監督

(左)1991年のセンバツに出場した瀬戸内高監督の後原富(右)松竹ロビンス時代の真田重蔵

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 高校野球でも、元プロ野球選手の監督が増えている。以前は数年間の教員経験などが必要とされていたが、2013(平成25)年に学生野球憲章が改正され、学生野球資格を回復するための研修制度がスタート。プロ、アマ双方で講習を受講すれば、原則として高校の野球部監督に就くことができるようになった。

 教員資格が義務付けられるようになってから就任した監督では、1991(平成3)年のセンバツ大会に出場した広島・瀬戸内高の後原富(せどはら・ひさし)が甲子園出場の第1号。昨年夏の甲子園大会では若林弘泰が率いる東京・東海大菅生高と、中村良二が率いる奈良・天理高がともに4強入りした。

 プロとアマの関係が悪化する前は、プロアマ間を行き来する例もあった。真田重蔵は、戦前に和歌山・海草中(現向陽高)の主力として夏の甲子園大会連覇に貢献。卒業後にプロ入りすると、最多勝を獲得するなど通算178勝を挙げた。引退後は大阪・明星高の監督として63(昭和38)年夏の甲子園大会で優勝。翌64年はプロの東京でコーチに就いている。

 

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