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【スポーツ史 平成物語】

思いが交錯した完全リレー日本一 井端はうなずき、川上は声を荒げた

2018年5月12日 紙面より

日本ハムを破って日本シリーズを制覇、ナインに胴上げされて宙を舞う落合監督

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第1部 ドラゴンズ編(5)

 日本プロ野球84年の長い歴史の中で、ただの一度だけ達成された偉業がある。2007年(平成19年)11月1日の中日−日本ハムの日本シリーズ第5戦(ナゴヤドーム)。中日・山井大介と岩瀬仁紀が99球の「完全試合リレー」を達成した。ポストシーズンはもちろん、公式戦でも過去にない快挙。その後、大いに物議を醸すことになった“オレ流”継投。実際にグラウンドで戦った両軍の選手はどう感じていたのか。今だから明かせる本音に迫った。 (文中敬称略)

 さまざまな思いが錯綜(さくそう)していた。中日にとって53年ぶり日本一をかけた一戦。先発マウンドを託された山井大介は次々と凡打の山を築いていく。相手の先発は、難攻不落のダルビッシュ。1、2点勝負。想定通りの展開となったが、皮肉にも回を重ねるごとにチーム内で“孤立”していく。ただの一人も走者を許すことのない完全投球。2回に平田の犠飛で先制してはいたが、ベンチ内は重苦しさを増した。山井は、記憶をたぐり寄せるようにこう振り返った。

 「誰にも、声はかけられなかった。ただ投球に関しては、偉そうなんですけど、あの日はシゲさん(捕手の谷繁元信)のリードが手に取るようにわかったんです。次はこの球種でこのコース、次はこれって。だから確かサインに首を一度も振ってません。シゲさんが、サインを出す前に握りの準備ができていたくらいでした」

8回表の投球を終え、ベンチに戻って森チーフバッテリーコーチ(左)、谷繁(右)と話し合う山井=ナゴヤドームで

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 そんな山井が6回のマウンドに向かう直前、声をかけてきたのは森バッテリーチーフコーチだった。投球練習の際に走者が出たときに備え、セットポジションの練習を多くするように注意。山井もこれに従い、通常なら5球のうち1球しかしないセットポジションを3球に変更した。

 一方、対戦した日本ハム側は、山井の状態をどう見ていたのか。「山井さんには失礼なんですけど正直、こっちの先発はダルビッシュ。先制されても、中盤までベンチを含めてまったく焦りはなかったんです」。こう話したのは、日本ハムの5番・左翼で先発出場した工藤隆人だ。ただ、山井の投球で度肝を抜かれたのは、やはりスライダー。「狙っても打てない。速球に的を絞りました。でも最後は、やっぱり谷繁さんのリードにやられたかなと…」と続けた。

 日本ハム打線に脅威を与えたスライダーのキレ、加えて寸分の狂いもない配球。それを証明するように6回まで外野に打球が飛んだのは、3回の鶴岡慎也の右飛だけだった。山井との共同作業で、日本ハム打線を手玉にとった谷繁は、こうゲームプランを練っていた。

 「山井のスライダーが良かったんで、ひと回り目はそれを意識させて二回り目からフォークを入れていこうと…。やっぱりシーズンは取り返せても、シリーズは1球で流れが変わる。まして1−0。こっちは日本一になることに必死。正直、山井が走者を出していないと意識したり、実感したのは7回だった」

 百戦錬磨の捕手があくまで念頭に置いたのは、53年ぶりの日本一。目の前の試合に勝つしかない。流れが変わりかねない敵地での第6戦に、持ち越したくはなかった。失策も許されない展開で、6度の守備機会を難なくこなした井端弘和も、その思いは同じだった。

 02年8月1日。川上憲伸が巨人戦でノーヒットノーランを達成した際には、井端は3回にマウンドで「憲伸、今日は大記録を狙え」と告げたが、山井にはそんな言葉すらかけていない。その理由を、井端は「憲伸のときとは違いますよ。あの試合は正直、何点差だろうが、泥仕合になろうが勝てばいい。個人のことはどうでもいいんです」と述懐する。

 「1−0という展開がすべて。ボクは守っていても完全試合だとか考えなかった。だから山井から、岩瀬(仁紀)さんにスイッチしても何ら疑問に思わない。シリーズは04年の西武にも4勝3敗で負けて、前年の06年も日本ハムに辛酸をなめていた。何が何でも勝ちたかったんです」

(左)8回表1死、工藤を空振り三振にしとめ、連続無安打日本シリーズ新記録を樹立、ガッツポーズの山井 (右)9回表2死、最後の打者の代打小谷野を二ゴロに打ち取りゲームセット、ガッツポーズの岩瀬=ナゴヤドームで

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 そしてナゴヤドームがどよめき、その後に賛否を巻き起こすことになる9回、岩瀬への継投。この瞬間、日本シリーズ史上初の完全試合という快挙は消えた。後日談として、山井が4回に右手中指のマメが裂けていたことが交代理由として挙げられた。しかし、実際は2回から違和感を抱えていたものの、スライダーは依然キレており、9回も投げられなかったわけではない。

 ただ山井自身も、谷繁や井端同様にまず53年ぶりの日本一を最優先に考えていた。「代えてください、と言ったのは確かですからね」。山井は先発投手として珍しくイニング間にアンダーシャツを着替えることなく試合を乗り切る。新品のサラッとした感覚が好きでないのと、ロッカーで登板のない投手と会話する煩わしさを避けるためだ。この日、ロッカーでは第6戦に先発予定の川上憲伸がテレビ観戦していた。勝てばシーズン終了、負ければ…。複雑な精神状態で身支度する中、川上は8回を終えて山井がロッカーに姿を見せたことにがく然とした。

 「交代を知って、大介には『指がちぎれても投げないといかんだろ』って激しく言いましたよ。日本シリーズという晴れの舞台で、こんなチャンスなんて二度とないんです」

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 勝負の世界に「たら、れば」は禁物だ。ただ対戦相手がダルビッシュでなければ。最少得点差ではなく3、4点のリードがあれば。53年ぶり日本一がかかる一戦でなければ…。おそらく山井は続投していただろう。「人生で初めて、こんな重圧の中で投げた」。9回を締めた守護神・岩瀬の快投はもちろん、称賛に値する。球史に残る99球の完全試合継投。これも、決して色あせることのない偉業だった。 (特別取材班)

ノムさん異論、岡田は支持

 日本シリーズ史上初の快挙に「あとアウト3つ」と迫っての継投には賛否の声が噴出した。野球ファンで知られる漫画家のやくみつるは「今シーズン、最も空気の読めないさい配」。当時の楽天監督、野村克也も夜のニュース番組で「完全試合できている投手を9回で代えるのは落合だけ。10人の監督がいて、10人とも代えないでしょう」とコメントした。

 逆に継投支持を唱えたのは阪神監督の岡田彰布。「1年が終わる試合。万が一、そうなったらオレだって(藤川)球児に投げさせる」。ソフトバンクの監督を務めていた王貞治も「あの場面、個人記録は関係ない。負けたら札幌だったし、岩瀬で良かったんじゃないか」と話した。

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裂けていた山井の右手中指

 「オレだって(完全試合を)見たい。でも、山井のユニホーム(右太もも部分)の血を見たら…」と当時の指揮官・落合博満が、交代の真相を明かしたのは日本一達成から一夜明けた11月2日のことだった。

 試合中に山井の右手中指のマメが裂け、その血がユニホームのズボンにも付いていた。「周りは内部事情を知らない。我々には勝たなければならない使命がある。山井には来年、再来年がある」。本紙のインタビューに、こう答えている。

 

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