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【時代〜プロ野球昭和から平成へ〜】

不惑の壁打ち破った大砲 門田博光

2019年11月19日 紙面から

福岡ダイエー時代の1991年に通算550号を放った門田=平和台球場で

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 昭和最後のシーズンとなった1988年。現在ほど選手寿命が長くなかったプロ野球で、南海(現ソフトバンク)の門田博光が40歳で本塁打と打点の2冠に輝いた。これは令和となった今もプロ野球の最年長記録。1キロの重量バットをフルスイングして歴代3位の通算567本塁打を放ち、うち40歳以降に133本塁打をマーク。「太く長く」への扉を開いた「不惑の大砲」の足跡を証言などで振り返った。 (文中敬称略)

ONも越えられなかった

 プロ野球が国民的娯楽となった昭和の時代、40歳を超えて活躍する選手は少なかった。不世出のスーパースターである「ON」も例外ではなく、長嶋茂雄は1974年に38歳、王貞治は30本塁打を記録した80年に40歳でユニホームを脱いだ。

 選手寿命の潮流を大きく変えたのが通算567本塁打の門田だ。昭和最後のシーズンとなった88年に40歳で44本塁打、125打点をマークして打撃2冠。5位のチームからパ・リーグMVPに輝いた不惑の大砲は、中年ファンを勇気づけた。

 「本当のプロフェッショナル。練習も半端じゃなかった」。門田の1学年上で、ともに南海を支えた藤原満は語る。170センチと小柄な体で1キロの重量バットをフルスイングする姿はパ・リーグの名物でもあった。

 左打席からの打球は弾丸ライナーで、ほとんどが右方向へ。奈良・天理高の後輩で、門田の後継者として期待された藤本博史(現ソフトバンク3軍監督)も「あの体であの打球。初めて見て、レベルが違いすぎると思った」と口にする。

 門田の打球の強烈さは、打撃投手を務めた経験がある田尻一郎(現ソフトバンク広報)も証言する。「最初に『投げたらまず逃げろ』と言われた。冗談抜きで怖かった」。門田の打球を受けて肋骨(ろっこつ)を折った打撃投手もいた。

貫いた本塁打への「哲学」

 入団2年目にバットをもらうなど、長距離砲としての薫陶を受けた藤本は「スタンドまで3秒の本塁打が打てたら、次は2.5秒に縮める努力をしろ。それができたら、次は2秒を目指せ、と教わった」と本塁打哲学の一端を明かす。

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 70年の入団時は好守強打の外野手。藤原は「守備はうまかった。足が速いし、バネもある。打球勘も良かった」と振り返る。2年目の71年には早くも打点王に輝くが、79年に右アキレス腱(けん)を断裂。野球人生の大きな転機になった。

 当時は復活例が少ない大けがだったが、追い風もあった。75年にパ・リーグが人気向上策として採用した指名打者(DH)制だ。守備の負担がないため、復帰後はほぼDHでプレー。80年は41本塁打でカムバック賞を受賞し、81年は44本塁打で初の本塁打王となった。

 現在でも強打の外国人選手が占めることが多いDH。門田は猛烈な練習で自分の居場所を確保した。藤原は「打撃投手に2、3メートル前から全力で投げてもらい、それを全力で打っていた。あんな練習をしたやつはいなかった」と舌を巻く。

 速球への対応を重視する点は、現ソフトバンク球団会長の王貞治と同じだ。2008年の球団イベントの際に談笑し、王はこの練習に「年をとると直球への反応がどうしても遅れるけど、体の反射神経を衰えさせないようにね」と共感していた。

同僚も舌を巻いた背筋力

 独自の筋トレで鍛えたパワーもすごかった。藤原と藤本が口をそろえるのは「背筋が恐ろしく強かった」。巨漢の藤本が10キロのダンベルでやっとこなせる背筋のトレーニングを、門田は2倍の20キロのダンベルで軽々とこなしたという。

 田尻も門田の筋力に目を見張った一人だ。約100キロのベンチプレスをやっていた時に、門田から「少しやらせてくれ」と声を掛けられた。見ていると、猛烈なスピードで十数回こなし、涼しい顔でトレーニングに戻っていったという。

こだわり抜いた強い打球

 現役時代の門田は170センチ、81キロ。藤本は「一見、丸い体で小太りのように見えるけど、あれは全部筋肉だからね」と証言する。練習では重量ボールを使ったティー打撃を2箱分も行うなど、強い打球へのこだわりは人並み外れていた。

 1988年に40歳で打撃2冠に輝いた後、オリックス、ダイエーで過ごした平成の計4シーズンの本塁打数は33、31、18、7。40歳以降に計133本塁打を放った。92年8月31日に遠征先の福島市で現役引退を表明。44歳のシーズンだった。

 引退表明の前夜。数人の選手が門田の部屋に呼ばれ、藤本はバットを手渡された。「重さは最後まで1キロ。そこは変わらない。こだわりを持った方でした」。現在の主流は900グラムを切るが、それよりはるかに重いバットでのフルスイングを貫いた23年の現役生活。昭和と平成をつないだ強打者だった。

  (相島聡司)

【へぇ〜】忘れちゃいけない投打のレジェンド

最年長勝利のプロ野球記録を更新し、花束を手に笑顔の山本昌=2014年9月5日、ナゴヤドームで

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 昭和で主流だった「太く短く」とは違い、平成は門田のような「太く長く」が次々と登場した。

 打者は中日、オリックス、楽天で活躍した山崎武司が代表格。中日では11月で28歳となる1996年に39本塁打で初のキング。楽天では39歳となる2007年に43本塁打と108打点で2冠。40歳となる08年以降も26、39、28、11、1と本塁打を記録。45歳となる13年限りで現役引退した。

 広島、阪神でプレーし、連続試合フルイニング出場記録で知られる金本知憲は、鉄人の異名を取った。山崎と同学年で、32歳の00年に広島で「打率3割、30本塁打、30盗塁以上」のトリプルスリーを達成。03年の阪神移籍後も中軸を担い、40歳の08年には打率3割7厘、27本塁打、108打点をマーク。44歳の12年までプレーした。

 投手では中日一筋でプレーした山本昌が、前人未到の50代の大台に到達。通算219勝(165敗)のレジェンド左腕は、現役最終年の15年10月7日の広島戦に50歳1カ月で先発。これは出場、登板、先発のプロ野球最年長記録となっている。

引退試合のセレモニーでファンに手を振る山崎=2014年3月21日、ナゴヤドームで

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 ▼門田博光(かどた・ひろみつ) 1948(昭和23)年2月26日生まれ、山口県山陽小野田市(旧小野田市)出身の71歳。左投げ左打ち。奈良・天理高、クラレ岡山を経て、ドラフト2位で70年に南海入団。オリックス、ダイエーでもプレーし、92年限りで現役引退。本塁打王3度、打点王2度、MVP1度。通算567本塁打、通算1678打点はともに歴代3位。

 

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