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【時代〜プロ野球昭和から平成へ〜】

これもプロ野球選手の生きる道 逆輸入というトレンド

2019年10月29日 紙面から

(左)阪神で38本塁打を放つ活躍を見せたセシル・フィルダー=1989年 (右)現役最晩年のブルージェイズでキャンプに参加するも引退を決意=1999年、ダンイーデンで(共同)

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 昭和から平成へ移った1989年、阪神にはセシル・フィルダー内野手という頼もしい助っ人がいた。後にメジャーでベーブ・ルース以来の3年連続打点王に輝くなど、“逆輸入選手”として最初の成功例になった大砲だ。日本でプレーしたのはわずか1年だったが、当時4番の岡田彰布からさまざまなアドバイスを受け、貪欲に吸収。日本球界から学ぶという姿勢を持ち続けたことが、帰国後の大活躍につながった。 (文中敬称略)

日本経由米行き

 日本のプロ野球を経験して、メジャーで活躍する選手が増えてきた。近年で言えば広島でプレーし、レンジャーズで先発ローテを守ったコルビー・ルイス。そして巨人でエース格として活躍し、2018年のメジャー復帰後、18勝をマークして最多勝のタイトルを獲得したマイルズ・マイコラス。そんな“逆輸入”の先駆けとなった選手が、昭和から平成へと移り変わろうとする阪神にいた。

 その名はセシル・フィルダー。1989年に阪神へ入団。メジャー通算31発の長打力が持ち味と当時の紙面は評している。史上最高の助っ人と言われたランディ・バースが去り、長距離砲の獲得が急務。ただ、キャンプからオープン戦にかけて、その評価は下がる一方だった。

 外角のスライダーに対してバットが止まらない。長距離砲は“大型扇風機”とやゆされるようになった。3番・フィルダーの後、4番を打っていた岡田彰布は「やっぱり右打ちの外国人選手に多いというか、右ピッチャーのスライダーにバットが止まらんのよ。何でもかんでも振っとったんよな」と評す。

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 近年のプロ野球でも、ストライクゾーンからボールゾーンへ逃げる変化球に対応できるかどうかが、助っ人が活躍できるか否かのキーポイントと言われる。どれだけのパワー、恵まれた体格を持っていても、ここに対応できず不完全燃焼のまま帰って行った外国人選手は枚挙にいとまがない。

 異国の地で悩めるフィルダーに対し、岡田は「ちゃんと見極めをせんとあかんよ」などとアドバイスを送った。これがメジャーで実績を持ち、鳴り物入りで入った選手であれば…助言を聞き入れることはなかったかもしれない。「アメリカで実績があった方やないからな」と日本で活躍するため、フィルダーは貪欲にすべてを吸収しようとした。

必死に生活適応

 野球だけではなく、異国の文化まで−。岡田とは家族ぐるみで付き合うようになり「よう家にも来とったよ。まだ小さいプリンスもおって、うちの子と遊んどったしな」。プリンスとは後にメジャーで319本塁打を放ち、数々の打撃タイトルを獲得したプリンス・フィルダーのことだ。それだけ日本の野球、そして生活に適応しようと必死だった。

 狙い球の絞り方、配球論、経験豊富な4番バッターからのアドバイスを乾いたスポンジのごとく吸収したフィルダー。「とにかくパワーがすごかった。オレが横浜で2本のホームランを打ったけど、それがかすむような場外弾3連発もあったもんなぁ」とこの年、打率3割2厘、38本塁打、81打点をマーク。9月上旬に自らがたたきつけたバットが小指に当たって骨折。シーズンを棒に振ったが、最後までプレーしていればタイトル獲得は確実とまで言われた。

 阪神との残留交渉は実らず、わずか1年で退団。メジャーに復帰した翌90年は51本塁打、132打点で2冠王を獲得。91年も本塁打、打点の2冠に輝くと、2年連続でシルバースラッガー賞に選出された。92年はメジャーリーグ史上、ア・リーグではベーブ・ルース以来となる3年連続の打点王を獲得。90年代を代表するスラッガーとして、その名をとどろかせた。

日本に学ぶ姿勢

 メジャー復帰後、「オカダサンに教わった」と米メディアのインタビューに何度も答えていたフィルダー。岡田は「今はそんなことないやろうけど、昔は日本の野球の方が細かいところはあったからな。本人に学ぼうという意欲があったことが大きかったんちゃうかな」と述懐する。

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 日本の野球から学ぼうという姿勢。それがアメリカで鳴かず飛ばずだったフィルダー、さらにルイスにしてもマイコラスにしても、“逆輸入選手”としてメジャーで活躍できた要因だと言われる。今年に入ると、ブレーブスから1巡目指名を受けながらも入団を拒否したC・スチュワート・ジュニアが、6年契約でソフトバンクに加入。若き右腕が大成功を収めれば、新しい逆輸入のシステムは今後、定着していく可能性がある。

 昭和、平成と数々の外国人選手が日本のプロ野球界を彩ってきた。令和の時代は才能を持った若き外国人選手が異国の地で実力を伸ばし、メジャーで活躍−そんなモデルケースが、主流となっていくかもしれない。

 ▼セシル・フィルダー 1963年9月21日生まれ、56歳。米国カリフォルニア州出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。ネバダ大ラスベガス校から82年ドラフトでロイヤルズと契約。ブルージェイズを経て89年阪神入団。38本塁打をマークしたが、同年9月14日・巨人戦で地面にたたきつけたバットが手に当たり骨折。1年で阪神を退団した。90年のメジャー復帰後はタイガースで2年連続本塁打王、3年連続打点王を獲得。98年限りで現役引退。

【へぇ〜】猛練習に耐え、努力の大切さを学び才能開花させたソリアーノ

 フィルダーやマイコラスらとはルートが違うが、日本のプロ野球を経てメジャーで活躍したのがソリアーノだ。ドミニカ共和国にある「カープアカデミー」で才能が認められ、1996年に来日した。

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 2年目の97年に1軍出場を果たし、この年は9試合で17打数2安打。球団寮で若手選手たちと寝食をともにし、プロ選手としての礎を築いた。メジャーでは俊足強打の二塁手としてヤンキース、レンジャーズなどで活躍。02年に盗塁王を獲得し、ナショナルズ時代の06年に史上40人目となる200本塁打&200盗塁をマークした。

 その際に会見で発した言葉が「努力はウソをつかない」。カープの猛練習に耐え、努力の大切さを学んだことがメジャーで才能を開花させた要因にもなった。

 

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