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【時代〜プロ野球昭和から平成へ〜】

盟主の座動かした4連勝 1990年日本シリーズ 西武黄金期

2019年8月27日 紙面から

日本一を決めた瞬間抱き合って喜びを爆発させる(左から)石毛宏典、清原和博、辻発彦、潮崎哲也、伊東勤、鈴木健、渡辺久信ら西武ナイン=1990年10月24日、西武球場で

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 1980年代後半から球界を席巻したのは西武ライオンズだった。1982年から3度のリーグ優勝を飾った広岡達朗監督で基礎を作り上げ、86年からバトンを受けた森祇晶監督の下、9年間で8度のリーグ優勝(日本一6度)という常勝軍団を構築。その扇の要としてチームを支え、西武一筋で現役を過ごした伊東勤(56)=現中日ヘッドコーチ=が、無類の強さを誇った黄金時代の記憶をたどる。 (文中敬称略)

力で強奪した地位

 野球少年が当たり前のようにお気に入り球団の野球帽をかぶり、小学校へ登校していた昭和から平成初期の時代。関東地方では定番だった黒地にオレンジのYGマークに加え、水色を基調としたライオンズブルーに獅子のデザインの帽子が勢力を拡大していた。球界の盟主−。その言葉を、実力で巨人から強奪したのが当時の西武だった。

 「ボクがプロ入ったときは巨人は抜けた存在で、球界全体が巨人を中心に回っていた。だから、いずれは巨人を倒したいと…。でもあれを境にパ・リーグの野球というものに、目が向けられるようになったんじゃないかなと思う」

V逸翌年12差独走

阪神との試合前に橋本審判員(左)と話す中日・伊東ヘッドコーチ=6月30日、ナゴヤドームで

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 伊東が記憶をたぐり寄せた“あれ”とは1990年の日本シリーズだ。西武は前年の89年に近鉄・ブライアントにダブルヘッダーで“伝説の4連発”を浴びV逸したが、90年は12ゲーム差をつける独走でV奪回。一方の巨人も2位広島につけたゲーム差はなんと22。雌雄を決する日本シリーズだった。

 戦前の下馬評は巨人有利。ただ、結果は西武が4戦4勝と圧倒した。巨人自慢の3本柱・斎藤、桑田、槙原をすべて粉砕し、全試合4点差以上のまさに圧勝だった。まざまざと力の差を痛感させられた巨人・岡崎は「野球観が変わった」という言葉を残した。

 「選手が何をしなきゃいけないかわかっていたチーム」。伊東は西武黄金時代をこう表現し、さらに言葉を紡いだ。「まぐれでもなんでもなく、われわれには勝てる自信があった。巨人の選手はこんな強いチームがあったんだ、と思ったかもしれない。西武にはミスがほぼなかった。それとミスがあっても、監督コーチが何か言うのではなく、選手の中から声があがる。選手がいうと、監督、コーチはもう何も言えない。そういう空気が流れていた」

集う逸材が力発揮

日本シリーズ第3戦・西武−巨人 6回裏2死、トドメの1号を放った秋山幸ニは、おなじみのバック転を披露、「王手」のホームイン

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 石毛、辻、秋山、清原、デストラーデ、平野、渡辺久、工藤、郭泰源、渡辺智、潮崎…。事実上のGMとしてチーム編成を担った根本陸夫の獲得した逸材が、その力を存分に発揮したことに疑う余地はない。ただ当時の西武は、そんな個の力のみで勝ち抜いたわけではなかった。捕手という司令塔を担った伊東は、常勝軍団の秘密をこう明かした。

 「普段あまり話さない間柄でも、ペナントレースの天王山や日本シリーズという勝負どころになるとガチッと結束し、誰が音頭を取るわけでもないけど、選手間でピリッとした空気が流れる。これは修羅場をくぐり、経験値のある選手が何人もいないとつくれない。個々の力はあったんだろうと思うけど、それ以上にチーム全体の『圧』みたいなものが相手に伝わっていたと思う。これが団体競技の野球の強さの極意だと思うし、西武の伝統になった」

源流はV9遺伝子

日本シリーズ第3戦・西武−巨人 巨人相手に完封。清原和博(右)、石毛宏典(中)に祝福される渡辺智男=1990年10月23日、西武球場で

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 その源流は、巨人V9の遺伝子。82年から就任した広岡達朗が下地を作り、森祇晶がそれを踏襲していく。常に試合を想定した練習が行われ、基本練習の反復が主体。そこに首脳陣が目を光らせ、常に緊張感が漂う。さらに、キャンプでは弱点克服へ徹底して矯正が待っていた。伊東は「キャンプが一番、しんどかったし、面白くなかった。地味な練習が多かったけど、やってきたことは間違ってなかったって、今になって思う」と述懐する。巨人V9のメンバーは、広岡、森以外にも土井正三がオリックス、高田繁も日本ハムとヤクルトと他球団から招聘(しょうへい)され監督を歴任。V9戦士がそうであったように、西武黄金時代のメンバーも指導者として他球団に“流出”した。

 西武で監督を務めるだけではなく、伊東はロッテ、秋山、工藤はソフトバンク…。その伊東は、今も西武が最強だったという強い自負がある。

 「不思議と思われるかもしれないけど、あの時の西武は意外と仲も良かったし、派閥もなかった。相手球団からしたら『今日も勝てないな』って、上から飲まれるみたいな感じだったんだろうと思う。現在も強いチームはあるけど、正直、手も足も出ないという感じではない」

 伊東は秋山、工藤、清原ら黄金時代のメンバーが他球団に次々と移籍する中、西武一筋現役22年間でリーグ優勝14回(日本一8回)。たった一度たりとも、Bクラスは経験していない。 (伊藤哲也)

【へぇ〜】近鉄・ブライアント“伝説の4本塁打” 西武「10連覇」阻んだ!?運命のダブルヘッダー

西武−近鉄 8回表、救援した渡辺久信から決勝弾を放ちバンザイするラルフ・ブライアント=1989年10月12日、西武球場で

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 3連覇中の広島には今季史上4球団目の偉業がかかっている。2リーグ制となった1950年以降、リーグ4連覇を飾ったチームは3球団のみ。55年〜59の巨人(5連覇)、65年〜73年の巨人(9連覇)、75年〜78年の阪急(4連覇)、85〜88年の西武(4連覇)、90〜94年の西武(5連覇)の5例しかない。

 黄金時代の西武が唯一、リーグ優勝を逃したのが89年だった。10月12日の近鉄とのダブルヘッダーでブライアントに郭、渡辺久が3本塁打を喫し、第2試合でも決勝本塁打を浴びた。球史に残るブライアントの“伝説の4本塁打”の前に、史上初のリーグ5連覇を逃した。ただ西武はその翌年の90年から堂々の5連覇を果たした。もしあの89年も覇権を奪取していたら…。巨人のリーグ9連覇を抜く「10連覇」が実現していた計算になる。

 

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