トップ > 中日スポーツ > スポーツ > 時代〜プロ野球昭和から平成へ〜 > 記事

ここから本文

【時代〜プロ野球昭和から平成へ〜】

メジャーを感嘆させた日本の至宝 日米野球で輝いた万能プレーヤーたち

2019年7月23日 紙面から

1986年の日米野球で来日した米大リーグ選抜のメンバー。(左から)魔球のマイク・スコット、ア・リーグの本塁打王ジェシー・バーフィールド、大リーグの次代を担うホセ・カンセコとウォーリー・ジョイナー=成田空港で

写真

 野茂英雄が1995(平成7)年に太平洋を渡る前、米大リーグへの挑戦は日本のプロ野球選手にとって「夢物語」だった。昭和から平成の初めにかけて、日本のファンをスカッとさせてくれたのは、日米野球で大活躍した「メジャーに最も近い」選手たち。走攻守の三拍子がそろった秋山幸二らメジャーリーガーたちを驚かせた男たちの記憶をたどる。 (文中敬称略)

世界を引き寄せた

 昭和から平成に元号が変わった1989年に出版された「『NO』と言える日本」がベストセラーになるなど、世界第2位の経済大国(当時)として存在感を増していた80年代から90年代前半の日本。ただ、野球界における米大リーグは高い壁であり続けていた。

 日本球界から大リーグへの移籍に関するルールは、野茂の挑戦を機に90年代中盤から整備が進んだが、それまでは日米野球が大リーグの現役選手と対戦できるほぼ唯一の機会。秋山ら日本の一流選手が秘めた思いを爆発させた秋の短期決戦から「メジャーに最も近い」選手が誕生した。

日米野球第4戦、走・攻・守で大活躍した西武・秋山=1990年11月6日、平和台球場で

写真

 先発は15勝以上が5人、リリーフは20セーブ以上が4人など、投打の超豪華メンバーが来日した86年。2年連続で40本塁打をクリアし、西武の中軸に成長した24歳の秋山は第1戦で「あれは印象に残っている」という鮮烈な一打を放った。

 「5番中堅」で出場した初回の初打席。同年に防御率と最多奪三振の2冠に輝いたマイク・スコット(アストロズ)の武器「スプリット・フィンガー・ファストボール」を捉え、後楽園球場の中堅フェンス直撃の適時二塁打としたのだ。

 秋山は西武入団後に米国に3度の野球留学。現地の選手のレベルを肌で知る「米国通」でもあった。特に最後のアリゾナ教育リーグで同じチームのライバルとして競い合ったグレン・デービスとの親交は、その後の成長に大きな影響を与えた。

 デービスは86年にアストロズで31本塁打。「新聞で数字を見て、彼が今何本で俺は何本。これなら、俺はメジャーで何本打てるかも。そんなことを考えていたし、比較対象だったよね」。常に意識する大リーグの強打者と再会したのも、同年の日米野球だった。

 プロ野球史上初の「30本塁打&50盗塁」を記録した90年のインパクトはさらに強烈だった。第1戦の2回に二塁打→三盗で失策を誘って生還すると、第3戦では中堅からの好返球も披露。第5戦は二盗に左翼フェンス直撃の三塁打も記録した。

ジマー監督も絶賛

 大会MVPはケン・グリフィーJr.(マリナーズ)にさらわれたが、優秀選手に選出。敵将のドン・ジマー監督が「アキヤマの打撃センス、守備、走塁は素晴らしい。できるなら、米国に連れて帰りたい」と絶賛し、主催者に自ら推薦して決まった賞だった。

 「打って走って守れる選手はメジャーでもスーパースターなんだよ。当時の40発&40盗塁は(88年の)カンセコぐらいだったかな。そういうのがメジャーでも少なかった時代だから」。秋山は振り返る。ジマー監督がほれ込むのも当然だった。

ミスター日米野球

日米野球第4戦、9回にバットを折りながら、この試合5本目の安打を放ったダイエー・佐々木=1990年11月6日、平和台球場で

写真

 ダイエー時代の佐々木誠も打ちまくった。88年は打率3割8分5厘を記録し、第3戦で同年に59イニング連続無失点の大リーグ記録を樹立したオーレル・ハーシュハイザー(ドジャース)からソロ本塁打を放ち、「ミスター日米野球」とも呼ばれた。

 90年も大活躍し、第4戦で6打数5安打。途中出場で6打席連続安打を記録した第5戦の後には「(米国に)逆輸出させてもらおうかな。3Aから鍛えて、やがては大リーグへ」とのコメントも残した。最終的に21打数9安打、打率4割2分9厘で大会の首位打者となり敢闘選手に選ばれた。

 92年に首位打者と盗塁王に輝いた佐々木、そして秋山も走攻守の三拍子がそろった万能タイプ。大リーグでは筋肉増強剤がまん延した90年代終盤から本塁打偏重の傾向が強まったが、それまでは2人のような選手に大きな価値を置いていた。

 「メジャーに最も近い」と誰もが認めていた秋山は「当時のメジャーは球団数も少なかった。レベルが高いし、万全の体じゃないと通用しないと考えていた。(万全なら)チャレンジしたいとは思ったけどね」とした上で、笑顔でこう続けた。

 「やっぱり(大リーグに)行くなら、早いほうがいい。26歳から28歳ぐらいでね。体も精神的にも選手として一番元気なころだから。そのへんでチャレンジしたら、いいんじゃないかな」

 秋山は28歳の90年に30発&50盗塁を記録し、佐々木は首位打者と盗塁王を獲得した92年が27歳のシーズン。日本の野手の実力は後にイチローが証明するが、プロ野球に一時代を築いた2人が全盛期に大リーグに挑む姿が見てみたかった。 (相島聡司)

【へぇ〜】60年代以降は互角の戦い

写真

 日米野球は1908年に来日し、早大や慶大などを相手に17戦全勝だった「リーチ・オール・アメリカン」の来日が始まりで、日本チームは長らく本場の圧倒的な力を思い知らされてきた。

 その中で34年の沢村栄治は伝説だ。17歳の右腕は静岡・草薙球場での試合で、ベーブ・ルースを擁する大リーグ選抜を相手に8イニング1失点で完投負け。プロでも活躍し、44年に戦火に散ったその名は今も先発投手の最高の栄誉「沢村賞」に残る。

 戦後は米大リーグの来日が多かったが、60年代中盤からは力を付けた日本チームがほぼ互角の成績を収めることも増えた。86年からはNPB選抜の全日本と大リーグ選抜との対戦が中心となり、秋山や佐々木が活躍した90年には、メジャー選抜に初めて勝ち越した。

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が始まった2006年を最後にしばらく途絶えたが、14年に侍ジャパンの強化試合として復活し、MVPのソフトバンク柳田が「米国に連れて帰りたい」と高評価された。18年には侍ジャパンが5勝1敗と圧倒した。

 ▼秋山幸二(あきやま・こうじ) 1962(昭和37)年4月6日生まれ。熊本県出身。右投げ右打ち。八代高から81年ドラフト外で西武入団。93年オフに佐々木誠らとの3対3の大型トレードでダイエーに移籍。2002年限りで現役引退。87年本塁打王、90年盗塁王、ベストナイン8度、ゴールデングラブ賞11度。通算成績は2189試合に出場して2157安打、打率2割7分、437本塁打、1312打点、303盗塁。09〜14年はソフトバンク監督でリーグ優勝3度、日本一2度。

 ▼佐々木誠(ささき・まこと) 1965(昭和40)年10月3日生まれ。岡山県出身。左投げ左打ち。水島工高からドラフト6位で84年に南海に入団。ダイエー、西武、阪神で活躍し、2001年に米独立リーグでプレーして引退。NPB通算成績は1581試合に出場し1599安打、打率2割7分7厘、170本塁打、638打点、242盗塁。92年に首位打者、92、94年に盗塁王。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞4度。引退後はソフトバンクや社会人野球のコーチや監督などを歴任。18年から鹿児島城西高の野球部監督。

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ