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【時代〜プロ野球昭和から平成へ〜】

世界の王貞治も驚く ドーム球場の登場  

2019年3月19日 紙面から

 戦後の日本を代表するビッグプロジェクトである青函トンネルと瀬戸大橋が開通した1988(昭和63)年。野球界では日本初の屋根付き球場が誕生した。3月に開場した東京ドームだ。長く「プロ野球の聖地」と称された旧後楽園球場の隣に建設された全天候型の多目的球場が、プロ野球6球団がドーム球場を本拠地とする平成の「ドーム時代」の先駆けとなった。 (文中敬称略)

東京ドームの思い出を語るソフトバンク王貞治会長

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巨人監督時代に視察

 プロ野球開幕を翌月に控えた88年3月18日。東京都文京区の旧後楽園競輪場の跡地に、日本初のドーム球場が開場した。ガラス繊維布の白い屋根を持つ東京ドーム。内部の気圧を上げて屋根膜を支える構造で、屋根の形状と色から、当時の愛称は「BIG EGG(ビッグエッグ)」だった。

 37年完成の後楽園球場の老朽化もあり、建設計画がスタート。85年5月に工事が始まった。後楽園球場をホームグラウンドとして通算868本塁打を放ち、両球場が本拠地の巨人の監督を84年から88年まで務めた王貞治(現ソフトバンク球団会長)は当時を振り返る。

 「後楽園球場の隣だし、(工事中は)ヘルメットをかぶって、工事の進み具合を時々見に行きましたよ。(戦後に)経済大国になった日本の工業力はすごいなと感じましたね。本当にこんなものが日本にもできるんだ、と思うぐらいだった」

 日本球界が目標にしてきた米国では、65年に世界初のドーム球場となる鉄骨造りのアストロドームが完成し、その後もキングドームなどが次々と誕生した。東京ドームの完成によって、日本にもハード面で米国に肩を並べる施設が生まれた。

 開場の約1カ月後。セ・リーグの巨人とパ・リーグの日本ハムが本拠地としていた東京ドームは、いきなり「全天候型」の力を見せつけた。88年は4月8日に両リーグが同時開幕したが、7日夜から関東地方を季節外れの大雪が襲ったのだ。

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全天候型の威力発揮

 積雪は10センチ近くにも達し、西武球場での西武−南海戦はプロ野球史上初めて積雪による中止が決定。都内でも交通の混乱などが見られたが、東京ドームでは巨人−ヤクルト、日本ハム−ロッテの変則ダブルヘッダーが予定通りに開催された。

 当時、日本ハムの外野手だった島田誠は「同じ文京区に住んでいたけど、坂道で車がたくさん立ち往生していてね。歩いて球場に行ったよ」と話す。神宮室内で予定されていた練習もなくなり、巨人戦を観戦した後にナイターに臨んだ。

 島田も「日本もすごくなった。雪が降っても試合ができるなんて」としみじみ感じたという。先にデーゲームを終えた巨人のクロマティが「寒いよ。こんな時期に雪なんて」と目を丸くしていたことも、非常に印象的だったと振り返る。

 天候不順だった88年は雨も多かった。東京ドームの巨人は10月2日に最初に全日程終了。この時点で他の11球団は試合を残していた。近鉄は15試合、ロッテは17試合と特に多く、これがダブルヘッダーの「10・19」のドラマにもつながった。

「体調管理」の重要性

 ほぼ日程通りに試合がある東京ドームは、話題性もあって大幅な観客増も生んだ。88年の巨人は前年比11%増の339万人、日本ハムは98%増の246万人だった。両球団の観客動員数は、プロ野球全体の観客動員数の26・4%に達した。

 集客力や経済効果も桁外れに大きかった東京ドームだが、選手への影響はどうだったのか。巨人のライバル、阪神で先発の軸だった池田親興は「先発投手の立場で見れば、選手の野球への意識が変わったと思う」と強調する。

 池田はこう語る。「ドーム球場ではローテ通りに登板が巡ってくる。そこで変な投球はできないし、調子が悪くても雨天中止は期待できない。調整を含めた全てが大事になる。自分も最初の頃は東京ドームでは失点しなかったよ」と笑った。

 両翼90メートルの後楽園球場から同100メートルの東京ドームとなり、88年の巨人の本拠地での本塁打数は25本減の43本となった。この「投高打低」の傾向も追い風にした代表格が斎藤雅樹だ。翌89年から2年連続で20勝を挙げるなど、桑田真澄らと盤石の先発陣を形成した。

 外野手だった島田も見方は同じだ。「選手の体調管理への意識が高まったよね」。ただ、白い天井は野手の“天敵”で「最初は本当にフライが見えなかった。少し汚れて見えるようになったが、目を切らない追い方に変えた」と苦笑いする。

 平成に入り、福岡、名古屋、大阪、所沢、札幌にドーム球場が次々と誕生。東京と福岡でドーム球場を本拠地とする球団を率いた王は「野球も野球場もどんどん変化する。それに対応して変化できるのが人間の良さ」と話す。新元号ではどんな「変化」があるだろうか。 (相島聡司)

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国内球場唯一の開閉式

ヤフオクドームのメインエントランス横の壁に埋め込まれた銘板

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 日本で2番目に誕生したドーム球場は、開閉式の巨大な屋根を持つ福岡ドーム(現ヤフオクドーム)だ。「昭和の流通王」と呼ばれたダイエーの中内功が、南海ホークスの球団買収表明と同時に建設計画を発表。1993年4月に開場した。

 世界最大のチタン製の屋根は3枚構造。広さは3万2000平方メートルで重さは1万2000トン。1回の開閉費用は約100万円という。開けた場合は風の影響や騒音問題があり、現在は年に数試合を「ルーフオープンデー」として開催している。

 計画当初はドーム球場の隣にドーム型の大型商業施設を建設する「福岡ツインドームシティ」構想もあった。バブル後の消費低迷、ダイエーの経営危機などもあって計画は迷走。実現しなかったが、中内らしさがあふれる壮大な計画だった。

【へぇ〜】多目的化する野球場

 1988年開場の東京ドームは「こけら落とし」のイベントも超豪華だった。その一つが3月21日の世界ヘビー級タイトルマッチ。5万人を超す大観衆の前で、3団体統一王者のマイク・タイソン(米国)が挑戦者をわずか2回でKOした。

1988年に東京ドームでタイトルを防衛したマイク・タイソン(左)

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 当時21歳だった無敗の王者はその後も破竹の快進撃を続け、90年2月11日に再び東京ドームのリングに登場。誰もが2年前の再現を予想したが、挑戦者のジェームス・ダグラス(同)に10回KO負け。衝撃的な「世紀の大番狂わせ」となった。

 「全天候型」で「多目的」な特長を生かし、その後もイベントなどが数多く開催された東京ドーム。ちなみにプロ野球が初めて中止になったのは、90年8月10日の巨人−中日戦。台風の影響で中日が名古屋から東京へ移動できなかった。開場3年目の出来事だった。

 

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