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【時代〜プロ野球昭和から平成へ〜】

バブル真っただ中…球界を彩ったおしゃれカッコいい男たち トレンディーエース 西崎幸広 渡辺久信

2019年1月22日 紙面から

港でポーズを決める西崎幸広=1988年(ベースボールマガジン社提供)

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 第1回 今年の4月30日をもって「平成」が終わり、5月1日からは新たな元号での日々が始まる。いわば時代の変わり目でもある。今年のスポーツ4紙合同企画は「昭和」が「平成」となった30年前の改元前後のプロ野球界を特集。第1回は「トレンディーエース」を取り上げる。 (文中敬称略)

ファッション誌にも

 昭和が終わり平成が始まった1989年の世の中は、バブル真っただ中。そんな時代を象徴するかのように、プロ野球界にも華やかな選手が出現した。日本ハム・西崎幸広(54)=日本ハムOB会長、西武・渡辺久信(53)=西武GM、近鉄・阿波野秀幸(54)=中日投手コーチ。球界を彩ったのは「トレンディーエース」と呼ばれる男たちだった。

 彼らはカッコ良かった。私服になると、おしゃれなジャケットを着こなし、スラリとしたパンツをはき、どこか都会的な匂いを漂わせる。当時、テレビで大流行していたのが「トレンディードラマ」。テレビの中から飛び出したかのようなエースたちは、女性ファンをとりこにした。

 「トレンディーエース」の代表的な存在といえば、プロ1年目の1987年から日本ハムのエースとして活躍し、ファッション雑誌「MEN’S NON−NO」にも登場した西崎だろう。

ブランドこだわらず

 「プロになり、ある程度自由になるお金が入ってくるようになった。それからおしゃれをするようになったのですが、人と同じことをしたくないというのもあった」。それまでプロ野球選手の定番の装いと言えば、ゴルフウエア、パンチパーマ、金のネックレス…。そうした武骨な世間のイメージをがらりと変える爽やかなルックスは、注目を集めた。「当時の日本ハムは人気のない球団でしたし、パ・リーグで盛り上げようというのはあったかも」

 ただ、ファッションの中身については意外な真相もあった。「よく着ていたのは、ブランドものじゃなかったですよ」。大流行していた高価なDCブランドや高級ブランドを着こなしていたかと思いきや…。「自分はパッと見て気に入ったら買うという感じだった。体に合うもので『これいい』と思った服を買う。アルマーニとか、ヴィトンとかじゃなかった。当時は『JUN』とか、そういう服を着ていましたね。実際に着てみて、合うやつがあれば色違いを買ったりとか、よほど気に入ったら2、3着買ったりとか」。着こなしていたのは数万円の服だったという。

本職で必死に頑張る

 それでも、西崎らのファッションは当時のマスコミにも大きく取り上げられた。そして、外見が注目を集めたからこそ、本職の野球を必死に頑張ろうという決意を強くしたことも事実だった。

 「やっぱりしっかりした成績を収めないと、こういうことをしていても『何してんねん』と思われる。成績を収めて初めて認められる。阿波野にしても、ナベ(渡辺)にしても、しっかり成績を残したヤツがこういうことをしていた」

 ただ、当時は複雑な感情も抱いていたという。「トレンディーという言葉は、あまり好きでなかった。トレンディーでも何でもない。野球選手ですからね」。それでも、それまでの野球界とは一線を画したブームが生まれたことは間違いない。「トレンディーエースとして自分を覚えてもらっていることもある。ありがたいと思っています」

結果残す確かな実力

 そして最後に言葉にしたのは、プロ野球選手としてのプライドだ。「トレンディーの後ろにエースとあるのが、投手としてありがたい言葉。単なるトレンディーピッチャーじゃない。トレンディーエースなので」。確かな実力があり、結果を残した。その上で、飛びっきりカッコ良かった。だからこそ「トレンディーエース」は多くの人の記憶に刻まれている。

 (井上洋一)

現在は日本ハムOB会長を務める西崎。54歳の今もなお、格好いい!=東京都内で

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 ▼西崎幸広(にしざき・ゆきひろ) 1964(昭和39)年4月13日生まれ、滋賀県出身の54歳。瀬田工では3年春のセンバツに出場。愛工大では愛知大学野球リーグの通算最多勝利となる37勝をマーク。4年時には明治神宮大会優勝に貢献。87年にドラフト1位で日本ハム入り。15勝7敗だった1年目は新人王を逃すもパ・リーグ会長特別賞を受賞。2年目の88年に最多勝(15勝)。98年に西武へ移籍し01年限りで引退。通算127勝102敗22セーブ、防御率3.25。

格好いいと思って 意識したことない

日本シリーズを前に合宿所に入る西武の渡辺久信=1987年

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 西武黄金期の中心投手として活躍した渡辺もユニホームを脱げば、球界のファッションリーダーだった。「ファッションに詳しい友達がいて、そのおかげでDCブランドとかの洋服を買っていた」。こちらはDCブランドをバッチリと着こなしていたという。

 では「トレンディーエース」と呼ばれていたことについてはどう感じていたのか。「注目されても戸惑いなんて全然、なかった。今の若者と同じです。自分で稼いだお金で好きな服を着ていただけ。トレンディーと言われていたけど、格好いいと思って意識してやっていたつもりはない」。自然体で自分の流儀を貫いた結果、一世を風靡(ふうび)する存在になっていたということだ。

 そんな渡辺は「今は洋服とか見た目で注目されるような選手は、なかなかいないかもしれない」と指摘。「個人の考えだから、どんな格好をしていても、自分でやりたいようにやればいい」。自らもそうであったようにまずは野球に全力で打ち込み、あとは個性を大事に振る舞うよう後輩たちにアドバイスした。

現在は西武のGMとして活躍する渡辺久信

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 ▼渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ) 1965(昭和40)年8月2日生まれ、群馬県出身の53歳。前橋工からドラフト1位で84年に西武入り。最多勝3度など西武黄金時代の主力投手として活躍。98年にヤクルト、99年から台湾でプレーし01年限りで引退。日本での通算成績は125勝110敗27セーブ、防御率3.67。西武監督に就任した08年にリーグ優勝と日本一。13年までの6年間監督を務め、Aクラス5回、監督通算438勝395敗31分け。

【へぇ〜】選手のスタイルも様々変化

あんな時代もあったよね…懐かしのプロ野球選手定番ファッション

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 時代に合わせて変化してきたプロ野球選手のファッション。では、ユニホームの着こなしは当時、どうだったのか。

 見た目で今と一番違うのが、足元だろう。昭和〜平成初期まではロングソックスと、前後の開いたストッキングの2枚履きだった。プロでは今、当時より厚くしたソックスを1枚履き、くるぶしを隠すようなロングパンツのスタイルが主流だ。

 また、気づきづらいが球団名など胸のロゴや背番号も刺しゅうから「昇華システム」というプリントになっており、軽量化と動きやすさが格段に進化している。

 アンダーシャツも、長年、綿製の袖にゆとりがあるものだったが、最近は化学繊維でぴったりとした素材がほとんどだ。

 これは米国のスポーツ用品メーカーが、アメリカンフットボールで使用されていたものを、野球用としてヤクルトのクラブハウスに持ち込んだのが最初。これが国内でアマチュアにも流行し、米大リーグに“逆輸出”されたという面白いルートをたどっている。

 野球帽のつばを平べったくするかぶり方も、30年前には誰もやってなかった。新時代の選手にどんなスタイルが流行するのか、興味は尽きない。

「僕は死にましぇん!」「カンチ(ハート)」数々の流行語生み出したトレンディードラマ

 「トレンディーエース」の語源となったトレンディードラマは、バブル時代に重なる1990年前後に放送されたテレビドラマのジャンル。都会を舞台に若い男女の恋愛模様や、流行を描き、若者を中心に大人気となった。

 主要作(かっこ内は主な出演者)には「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」(明石家さんま、大竹しのぶ、片岡鶴太郎)、「抱きしめたい!」(浅野ゆう子、浅野温子、岩城滉一、石田純一)、「君の瞳に恋してる!」(中山美穂、前田耕陽、菊池桃子)、「愛しあってるかい!」(陣内孝則、小泉今日子、柳葉敏郎)、「東京ラブストーリー」(鈴木保奈美、織田裕二、有森也実、江口洋介)、「101回目のプロポーズ」(浅野温子、武田鉄矢、江口洋介)などがある。

 浅野ゆう子&温子は「W浅野」と呼ばれ、男性ファンの人気を集めただけでなく、女性のあこがれの的ともなった。「東京ラブストーリー」で赤名リカ役の鈴木保奈美が永尾完治役の織田裕二に「カンチ〜、セックスしよ!」と呼び掛けるシーンや、「101回目のプロポーズ」でダンプカーの前に飛び出した星野達郎役の武田鉄矢が、矢吹薫役の浅野温子に「僕は死にましぇん! あなたが好きだから」と絶叫したのは、まさに名場面だ。

 

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