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馬場少年 富山で夢育つ NBA契約 出会いや挫折原点に

奥田中時代「八村勧誘 ダンク習得」 富山一高時代「仲間助けプレーに幅」

 米プロバスケットボールNBAのマーベリックスと契約し、シーズン前のキャンプに参加している富山市出身の馬場雄大(23)。同市奥田中学校の後輩の八村塁(21)=ウィザーズ=に続き、世界最高峰リーグに挑んでいるスタープレーヤーの原点を追う。(山本真士)

【上】キャンプでシュート練習するマーベリックスの馬場雄大=3日、ダラスで(共同)【下】北信越大会に臨む中学3年の馬場=富山市奥田中バスケットボール部後援会提供

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 足が速くて負けず嫌い−。幼い頃の馬場を、父敏春さん(64)はこう評する。敏春さんは元バスケ日本代表で、二メートルの長身に走力や器用さを備えていた。父に似て、馬場は運動が得意な子どもだった。

 バスケを始めたのは埼玉県内に住んでいた年中から年長の頃。三歳上の姉がミニバスケを始め、やがて敏春さんが指導に関わった。馬場は二人に連れられ、年上の子どもに交じってボールで遊ぶようになった。

 小学二年の秋、富山市に移り住み、奥田ミニバスケットボール教室に加入した。このころ掲げていた将来の夢はバスケの日本代表。敏春さんが憧れだった。

 奥田中学校では一年春から試合に出て夏にスタメン入り。コーチの坂本穣治さん(59)から「お父さんを超えろ」と高い目標を示され、厳しい練習に耐えた。後に強豪・明成高校(仙台市)の主将となる一学年上の伊藤尚人(25)=アースフレンズドットエグゼ=には、ドリブルを教わった。三年夏の北信越大会は相手のマークに苦しみ、全国大会出場を逃す挫折も味わった。

 試合で見せる豪快なダンクシュートは中学三年で覚えた。当時の身長は今より低い一八五センチだったが、跳躍力は抜群。バレーボール球で試し、徐々にサイズを大きくした。敏春さんが付きっきりで指導した秋からの数カ月で、ボールをたたきこめるようになった。

 八村が中学一年でバスケを始めるきっかけにも関わった。二学年下で体の大きさや運動能力で注目されていた八村を、部の仲間と協力して勧誘した。一緒にプレーした期間は短かったが、卒業後も交流は続き、八村の急速な成長に刺激を受けてきた。

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 高校は敏春さんがコーチを務める富山第一へ。選手層が薄く、あらゆる場面で仲間を助けるプレーが求められた。敏春さんは「もし県外の強豪に進んでいたら役割は固定されていただろう。プレーの幅を広げるという意味では彼にとって良かった」と振り返る。

 高校時代には世代別の日本代表に選ばれ、アジア大会に出場。高校二年で招集されたU−18代表では、後にNBA選手となる渡辺雄太(24)=グリズリーズ=とプレーした。全国高校選抜優勝大会(ウインターカップ)には二度出場したが、勝ち進めなかった。

 卒業後は筑波大へ。U−18代表の仲間が入学することに後押しされた。ウインターカップで勝てなかった悔しさを晴らすように一年目から活躍し、全日本大学選手権を三連覇。大学四年の途中にBリーグのアルバルク東京と契約し、プロ入りした。卒業論文ではダンクが勝敗に与える影響を分析。教員免許も取得した。

 Bリーグや日本代表での活躍は目覚ましく、NBAチームとの契約をプロ三年目で勝ち取った。馬場は渡米前、「こうしていられるのも富山で過ごした時間があったから。日本、富山を背負う思いを持ちながら進んで行きたい」と地元への思いを熱く語った。

 マーベリックスのキャンプは七日(現地時間六日)まで。九日(同八日)からプレシーズンマッチに臨み、二十四日(同二十三日)に開幕戦を迎える。

【メモ】ばば・ゆうだい=198センチ、90キロ。アルバルク東京でのポジションはスモールフォワード。スピードと高い身体能力を生かしたダイナミックなプレーが持ち味。

 

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