トップ > 富山 > 特報とやま > 記事

ここから本文

特報とやま

<八村塁の挑戦>(中) 出発点 出会いに恵まれ

全国中学校バスケットボール大会で準優勝し、喜ぶ八村塁選手(手前左)とチームメート=2012年8月24日、さいたま市記念総合体育館で

写真

 「バスケット選手・八村塁」の原点は中学時代にある。二〇一〇年春、富山市奥田中一年の教室で、岡山翔太郎さん(22)=北陸大四年=は八村選手に声を掛けた。「バスケやろうよ」。断られても、もう一人のバスケ部の友人と毎日のように誘った。「気が合ったし、仲が良かったから」

 八村選手は元々、野球少年だった。小学二年で奥田少年野球クラブに入団。バットに当たれば打球は遠くへ飛び、盗塁すれば三塁を難なく陥れた。投げるボールは速くて重く、受ける子どもが嫌がるほど。「久しぶりに富山からプロ野球選手が出るかも、って期待していたな」。元監督の高嶋信義さん(74)は懐かしむ。

 人懐っこい性格も印象的だった。「いつもニコニコして愛くるしかった。優しく、下級生の面倒見が良かった」。チームの中心で、周囲に親しまれる存在。だが、六年の途中から練習に来なくなった。原因は股関節の成長痛。公式戦が集中する時期に試合に出られず、野球から遠ざかった。

 そうした状況で中学に進んだ八村選手は、入る部活動を決めかねていた。そこにやって来たクラスメートの勧誘。熱心さにほだされ、渋々、バスケ部の見学に行くことになった。

 バスケの強豪・奥田中には、岡山さんを含め、上達を目指す選手が集まっていた。当時の三年には、後に日本代表でともに戦う馬場雄大選手(23)もいた。

 初心者だったが、体格に恵まれ、身体能力が高い八村選手に、コーチの坂本譲治さん(59)はこう声を掛けた。「頑張れば、将来NBAに行けるぞ」

米国から帰郷した八村塁選手(左)と記念写真におさまる坂本譲治さん=2016年1月、富山市内で(いずれも奥田中バスケットボール部後援会提供)

写真

 百パーセントの確信があったわけではなかった。どちらかと言えば、バスケに熱中してもらう動機づけの方が大きかった。ただ、励ます時も叱る時も、ことあるごとに「NBA」と口にした。

 八村選手はその言葉を信じ、練習に打ち込んだ。坂本さんは指摘する。「馬場は天才肌で、どんなプレーも簡単にできる才能があった。一方の塁はそういうタイプではなく、努力で伸びていった」。八村選手は三年の時、全国中学校バスケットボール大会で準優勝を果たしたが、「決して塁の力だけが突出したチームではなかった」と言う。

 卒業後、明成高校(仙台市)、米ゴンザガ大と日米の名門を経て、たどりついたNBAドラフト。八村選手は前日会見で、坂本さんや当時のチームメートへの思いを問われ、「中学が僕の始まり。感謝しています」と答え、指名直後のインタビューも「まずは中学のコーチに感謝したい」と繰り返した。

 海を越え、日本中を沸かせた一巡目指名のニュース。岡山さんは感慨深げに語る。「塁はずっと『NBA、NBA』と言っていた。明成で一年からレギュラーになるだけでもすごいと思っていたのに…」。スマートフォンで八村選手に「快挙すぎて興奮やばい!」とメッセージを送ると、間もなく返信が来た。「お前がしつこく誘ってくれたおかげだよ」(山本真士)

 

この記事を印刷する

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索