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「遊ばせ隊」解散、新組織へ 早川隆志さんに聞く

遊ぶ大切さを伝える活動を続ける早川隆志さん=富山市呉羽町で

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新しい運動 支えたい

若い人へ引き継ぐステージに

 遊びの大切さを提唱し、遊び方を子どもから大人にまで伝えている早川隆志さん(67)=富山市呉羽町、一九九九年に中日教育賞受賞。理事長を務めたNPO法人「富山・イタズラ村・子ども遊ばせ隊」を解散し、新たな活動へ向けて動き始めている。(柘原由紀)

 −遊ばせ隊を始めたきっかけは。

 小学校で障害児学級の教員をしていた一九八三年、五万円で旧八尾町の山奥の廃屋を買った。学校中心の教育に疑問があり、大人の目を逃れて子どもたちが自由に遊べる場所をつくりたかった。すぐに勤務校の子どもに広まり、「遊酔(ゆうすい)亭」と名付け、これまでに五百人以上が自然の中での遊びを体験した。その後、親子での合宿を受け付けるようになった。

 −なぜ遊びは大切か。

 小さいときに遊べなくなっているから、まともな成長ができないという持論がある。大人が忙しくなり、子どもと一緒に遊べなくなったことで人と関わることが下手な子が出てきた。

たくさんの子どもたちが訪れた遊酔亭=1980年代初め、旧八尾町で(早川隆志さん提供)

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 支援学級では知的障害の子どもたちが遊ぶことで人とのコミュニケーションや言葉を学んでいた。障害児が抱える問題は普通の子どもたちも抱えている。「子どもの遊びの味方になるのは俺しかいない」という使命感もあった。

 −二〇〇八年、親子合宿に参加していた当時小学三年の男の子が川遊び中におぼれて亡くなった。

 数年は講演や合宿などをする気力もなかった。しかし、警察の調べが終わった〇九年に反省を込め、「こども環境学会」の子どもの遊びに関するガイドラインの執筆に参加し、ただ悲しんでいるだけではどうしようもないと思うようになった。亡くなった子は合宿を楽しみにしていたと聞いた。活動をやめてしまうことは弔いにならない。

 −NPOの活動を休止するのはなぜか。

 二人三脚で活動していた妻が病気で倒れた。新たにスタッフを雇う余裕はなく、一人での運営には限界があった。遊酔亭を訪れた子どもの中から、社会人になってカウンセラーや福祉の現場で子どもに貢献する人たちも育った。関わった大人たちが遊び力を身に付けて、いろんな分野で活躍している。若い人へ引き継ぐステージだと思った。

 −今後は。

 この春に「遊び力・子ども力研究所」という名前の団体を立ち上げ、実践的な研究の場にしていく。さまざまな分野で、子どもの遊ぶ環境を守る活動をしている、そうそうたるメンバーが集まる。若い人たちの新しい運動の展開を支えたい。

活動の場 オアシスだった

 早川さんと四十年来の付き合いがある日本乳幼児精神保健学会会長で児童精神科医の渡辺久子さん(71)=横浜市=は「遊んでもらうのではなく、自分から好奇心を持って遊ぶ。その一連の動きが脳・体・人格を発達させる」と話し、脳発達の見地から子どもの自発的な遊びの大切さを強調する。

 早川さんの活動を「皿回しなど普遍的な遊びはみんなと楽しめて、とても大事。子どもを見る目は上下関係などなく完全に同じ人間で、育ちにくい、育てにくい子の親たちにとって、活動の場はオアシスだった」と振り返る。「早川さんの地道な種まきがいろいろなものに広がっている」と今後の活動にも期待した。

 はやかわ・たかし 1951年、富山市生まれ。日本福祉大卒業後、特別支援学級や養護学校で障害児教育に携わり、旧八尾町で子どもの遊び場「遊酔亭」を運営。99年に中日教育賞を受賞。2004年に富山大教育学部付属養護学校を退職後、NPO法人「富山・イタズラ村・子ども遊ばせ隊」を設立。皿回しなどを取り入れた講演を全国で行う。19年春に、子どもの遊びに関する実践研究を行う「遊び力・子ども力研究所」を立ち上げる。

 

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