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【わがまちの偉人】魚津市 登山家・エッセイスト 佐伯 邦夫 1937〜2018年

本物の山男 生涯挑戦

 「本物の山男」。そう称されたアルピニストの佐伯邦夫は、名峰剣岳を中心に数々の未開拓ルートに挑戦。心臓の病を発症した後も山への思いを精力的に書き記し、生涯で二十冊以上の書籍にまとめた。(柘原由紀)

山岳関係の資料が数多く残る佐伯邦夫の書斎で写真を眺める栄子=魚津市で

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 中学生で登山を始め、名門とされた魚津高校山岳部などで経験を積んだ。一九五六年、兄の郁夫と魚津岳友会を創立。登山をスポーツととらえ、技術を持って山に挑む「アルピニズム」を実践し、未知のルートに挑戦した。六四年には剣岳小窓尾根白萩川側フランケを開拓。立山登山に同行した小説家の新田次郎に「本物の山男だった」と言わしめた。

新ルート開拓 執筆も20冊超

 僧ケ岳や毛勝三山など剣の北にあって見逃されがちな郷土の山々を愛し、自分らしい登山を突き詰めた。豊かな山登りは「自ら求めて、探り出し、紡ぎだしていくべきもの」。書籍には、人生に例えてそう記している。

 二〇〇〇年、原因不明の難病「拡張型心筋症」と宣告された。雪を下ろすだけでも息切れし、これまでのように山へ登ることはできない。家族に見せた落ち込みぶりはすさまじかった。

 「一緒に行ってくれんか」。同年夏、白馬岳へ妻の栄子(80)を誘った。十二歳のときに挫折した黒部峡谷祖母谷温泉を出発地点とする初登山のルート。これまでの山行とは逆で、後ろに栄子が付き、三歩歩いて十秒休む。紀行文には「すでに日は西側、しかし、あといくばくかの後には、かならずそこに着くだろう」。丸二日かけて五十年目の白馬岳へたどり着いた。

 〇四年を最後に登山はできなくなった。代わりに「登山者はもう一度、プレーヤーとして登場する機会が与えられる」と考える紀行文を自分の生きた証しに残した。書斎の本棚には山岳関係の資料が数多く残る。会員制交流サイト(SNS)にもほぼ毎日、投稿。いつだってユーモアや批判精神を忘れなかった。

 晩年は近くの公園のなだらかな坂で二、三本だけ滑る大好きなスキーが生きる気力だった。一八年の春先に一人で出掛けていったのが最後。やりすぎると体に良くないことは分かっていてもやめなかった。十八年間の闘病生活を見守った栄子は「最後まで好きなことをして幸せな人生だった。でも、山へ行きたかっただろうなぁ」と思いをはせる。 =敬称略

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 さえき・くにお 魚津市出身。12歳で兄と白馬岳へ初登山。魚津高校山岳部などを経て、魚津岳友会を設立。剣岳で数々の登攀(とうはん)ルートを開拓。県内で教職の傍ら登山を楽しみ、勤め先では山岳部を率いた。62歳で心臓の病となり、闘病生活を続けながら山行をエッセーや写真集に残した。

 

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