トップ > 中日新聞しずおか > 朝夕刊 > 記事

ここから本文

朝夕刊

浜松城の新絵図見つかる 堀の規模判明

◆袋井の収集家保有

写真

 今年、築城四百五十年を迎える出世城、浜松城(浜松市中区)の未確認とみられる絵図が見つかった。これまでの資料では分からなかった堀の長さや幅が明確に記されており、専門家は城の全容を知る貴重な手掛かりになると注目している。

 これまで、浜松城の構造物の規模が最も詳細に分かる絵図は一九八八年に浜松北高校旧木造校舎で発見された「安政元年浜松城絵図」だったが、堀の長さや幅に記載はなかった。

 今回、見つかった絵図によると、現在の連尺交差点(中区)近くにあったとされる城門(大手門)から東西に、水が入っていない空堀があり、東側五十七間(けん)(一〇三・六メートル)、西側六十二間(一一二・七メートル)だった。堀の幅は九間(一六・四メートル)で、大手門にかかる橋の長さも同程度だったと分かる。

 城の東側には現在の二俣街道に沿って南北に長さ百六十二間(二九四・五メートル)、幅六間(一〇・九メートル)の空堀があった。そこからさらに城門を挟んで北に水が入った堀があり、長さは三十二間(五八・二メートル)と記されている。

新たに発見された浜松城の絵図について解説する神谷昌志さん=浜松市中区で

写真

 資料は袋井市の古文書の収集家が保有しており、市浜松城整備専門委員で、浜松城の絵図や古文書の研究を担当する郷土史家、神谷昌志さん(90)=中区=が鑑定した。神谷さんは本紙の取材に「これまでの資料と見比べても内容に遜色はなく、当時の浜松城を描いたもので間違いない」と話した。

 絵図は堀の長さを明確に記す一方、城内の建物には詳細な記述がない。神谷さんは「東海道を多くの住民が行き交った幕末の動乱期に作られたもので、交通整理のために、堀の長さを測ったものでは」と推測した。

 浜松城を巡っては全容解明のため発掘調査などを続けているが、神谷さんによると「堀があった場所は既にほとんどが私有地になっており、測定はできない。正確な長さや幅が分かる重要な資料」という。

(鎌倉優太、写真も)

 <浜松城> 15世紀ごろ築かれた引馬城が前身で、1570年に徳川家康が浜松城と改称し、武田信玄に対する前線基地として整備し、約17年間を過ごした。家康が関東に移ると、豊臣系の家臣が入城し、高い石垣のある豪壮な城郭となった。その後、地震などで大部分が損壊し、鉄筋コンクリート製の現在の天守閣は1958年に造られた。市によると、徳川家康が築いた浜松城の城郭は南北約500メートル、東西約450メートル。

 

この記事を印刷する

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索