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駿府城下・武家屋敷石垣と道の跡 秀吉存命中に造営か

◆静岡市施設予定地

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 静岡市は十二日、戦国時代末期に豊臣秀吉と徳川家康がそれぞれ築いた駿府城(静岡市葵区)跡に面する南側で、武家屋敷を囲っていたとみられる石垣と、二・七メートル幅の道が見つかったと発表した。秀吉の存命中に造られたとみられる。戦国末期の武家屋敷や道路の遺構は福井県などでしか発見されていない。

 発見された場所は、市が二〇二一年秋の開業を目指す歴史文化施設の建設予定地。今年三月以降、表土から六十〜百センチ下で順次、見つかった。道は幅二・七メートル、全長三十メートルで、両側に高さ三十センチほどの石垣が積まれていた。天然の石がそのまま積まれ、昨年秋に確認された秀吉が築かせた駿府城の天守台跡と同じく、「野面積み」されている。

駿府城下の町並みを示す道と武家屋敷を囲んでいたとみられる石垣=静岡市葵区で

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 市などによると、一帯には当時、駿府城の本丸、二の丸を囲むように、重臣級の武家屋敷が立ち並んでいたとみられる。関東に国替えされる前の家康がいた時代か、秀吉下の武将、中村一氏が入城していた一五八五〜九八年ごろの造営と推定される。

 天下人となった家康が駿府城に戻り、大御所政治を始めたころ、秀吉が築かせた天守閣とともに武家屋敷や道も埋められた可能性が高い。

 遺構は二十日に臨時公開される。予約不要で入場無料。

(広田和也)

◆発見、全国でも数例

 静岡大・小和田哲男名誉教授(日本城郭協会理事長)の話 戦国時代末期の道路と武家屋敷を囲う石垣の発見は、全国でも福井県の越前一乗谷など数例しかない。駿府城は文献すらなかったので意義は大きい。石垣の長さから、武家屋敷には家老クラスが住んでいたのではないか。道幅は短く、東海道と城を結ぶ道につながる枝道だったのでは。

 

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