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ピンク・レディー 未唯mieさん 安倍川のほとり、ケイと

◆星を見上げデュオ

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 誰もがきっと一度はまねする。「ペッパー警部」「UFO」「サウスポー」…。静岡が生んだ名デュオ、ピンク・レディーのヒット曲。耳に残るメロディーと切れ味鋭いダンスは、四十年以上色あせない。未唯mieさん(61)=静岡市葵区出身=はデビュー当時と変わらぬスタイルで舞台に立ち、ファンを魅了し続ける。

 −昨年末の「日本レコード大賞」。デビュー当時さながらのパフォーマンスで、圧巻のステージだった。

 六分半の四曲メドレーを披露しました。一昨年のレコード大賞は四分半のメドレーでしたが、心臓はばくばく。六分半と時間が長くなったので、正直体力は心配でした。五十代になってからは、いつでもパフォーマンスできる体であり続けたいと気を付けています。自然治癒力を高める治療やトレーニングをしている。そのおかげか、満足のいくステージになったと思います。

 −ピンク・レディーは今も愛され続ける。

 昔を知らない世代からすれば「ピンク・レディーって何」と言われても仕方ない。でも、先輩がカラオケで歌う、お母さんが好きとか、知らないはずの世代も知ってくれている。年代を超え、子どもも好きになってくれるような楽曲とパフォーマンスなのかな。新たな世代にまで広がっていると思います。

 −それだけ魅力がつまっている。

 デビューするとき、(作詞家の)阿久悠先生の「おもちゃ箱をひっくり返したような、本当に楽しい、面白いアーティストにしてやろう」という思いから始まった。歌詞の世界観や、言葉を具現化するような動きがとてもキャッチーで、歌って踊ってもらえる。何十年も愛され、喜んでもらえるのはすごくうれしいです。

 −十八歳でデビュー。静岡での学生時代は。

 プロを目指し頑張ったのが中高生時代。歌手が夢になり、(同級生の)ケイと一緒に夢を追い掛けた。ケイにはよく家に来てもらってました。

 父が寝たころを見計らってそっと家を出て、二人で近くの安倍川のほとりにも行きましたよ。大声で歌の練習をしたんです。「あの輝く星のようになろうね」なんて、ドラマの一場面のように星を見ながら語り合ったことを覚えています。

 −ケイさんはどんな存在か。

 親友、幼なじみであり、ピンク・レディーでは戦友に。一人だったら弱音を吐くこともあったかもしれないけど、ケイがいたから頑張れた。一生を通して大事にしたい人です。

 −周りの友人はどんな声を掛けてくれたか。

 応援してくれる人、スターになんかなれっこないって言う人がいました。どちらからも力をもらえた。応援してくれる友だちは、オーディションを教えてくれた。反対する友だちの言葉も、「なれるわけないって言われるけど、絶対私たちはなろう」ってエネルギーに変えることができた。

 −故郷への思いは。

 父は亡くなりましたが、母を含め親戚一同が今も静岡。できるだけ足を向けるようにしています。私を育ててくれた静岡に恩返ししたいです。静岡の良いところを全国に紹介したい。

 みい 静岡市葵区出身。常葉高校(現・常葉大常葉高校)卒。1976年、ミイとケイ(増田恵子さん=同区出身)によるピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。81年に解散するが、2010年に「解散やめ!」と再始動を発表。コンサートやアルバム制作を続ける。個人では、テレビや舞台、エッセーなどでも活動する。

(聞き手・福島未来)

 

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