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企業に道徳 教え令和へ 浜松に渋沢栄一の書

渋沢栄一が記したとされる書を手にする池谷尚子さん=浜松市中区で

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 二〇二四年度から発行される新一万円札の顔に選ばれた渋沢栄一(一八四〇〜一九三一年)が大正期に記したとみられる「論語」の一節の書が、浜松市中区の民家に残されている。第二次世界大戦時の空襲でも焼かれず、平成、令和へ−。大企業を巡る不祥事が絶えない中、書を保管する池谷尚子さん(92)は「この精神を次の時代に受け継いでほしい」と語る。

 渋沢の書は二十五年ほど前、池谷さんが祖父や両親の遺品整理で見つけた。和紙に墨で「学而不思則罔 思而不学則殆」と書かれている。古代中国の思想家孔子の言葉をまとめた「論語」の「為政(いせい)第二」の一節で、書き下し文の例は「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あやう)し」。学ぶだけでよく考えないと道理はつかめないが、知識を思い巡らすだけで学ばないと独断に陥って危ない−という意味だ。

 池谷さんは「祖父が集めた書ではないか」とみる。表具師だった祖父長太郎さん(一八七〇〜一九三八年)は初代浜松市議の一人で、珍しい物を集めるのが趣味だったという。見つけた時、江戸や明治の偉人が書いたとみられる書も数百あったが、中でも渋沢の書はきれいな状態だった。父から渋沢が銀行や鉄道などの分野で「神様」と呼ばれていると聞いたことがあり、書を色紙に表装して大事に保存してきた。

 先の大戦時、池谷さん一家は今のJR浜松駅近くに住んでいた。四五年の浜松大空襲で一帯は焼け野原になったが、一家の鉄筋の蔵は無事で、渋沢の書はこの中にあったとみられる。

 書の末尾には「丁巳(一九一七年)」「青淵書」とある。渋沢史料館(東京)によると、青淵(せいえん)は渋沢の号。遺墨の筆致に似ていることなどから直筆とみられる。論語は渋沢が幼い頃から親しんだ書物で、揮毫(きごう)の題材によく使われたという。史料館学芸員の永井美穂さん(47)は、論語について「渋沢のよりどころだった」と表現する。

 渋沢は、企業を発展させて国を豊かにしようと、経済活動には道徳が必要だとする「道徳経済合一説」を唱えた。大政奉還後の一八六八(明治元)年から一年間、静岡で暮らした。だが史料館などによると、大正期に渋沢が浜松を訪ねたとする史料はなく、書についての詳細は不明という。

 近年、自動車製造の検査不正や賃貸アパートの施工不良など企業の不祥事の発覚が相次いでいる。池谷さんは、戦時中に中島飛行機で図面管理に携わった。書について「私たちも企業も大事にしなければいけない教えだ」と語る。紙幣が改まる五年後に向け「私も見届けなくちゃ」と笑顔を見せた。

(鈴木凜平)

 

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