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極め人

「いのちの歌」を作曲・音楽家 村松崇継さん 縁の糸 運命変えた

◆生きる意味 重みを増す

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 「命は継がれてゆく」。二〇一一年三月の東日本大震災以降、人々を励まし、癒やしてきた竹内まりやさんの「いのちの歌」。著名なアーティストらがカバーし、全国の小中高校でも卒業式などで歌われ、昨年のNHK紅白歌合戦でも竹内さん自身が披露した。作曲したのは、浜松市出身の音楽家、村松崇継さん。全国で長く愛されている曲に込めた思いとは−。

 −紅白に初出場の竹内さんが「いのちの歌」を歌うと知った時の気持ちは。

 本番の十日ほど前に知り、驚きました。まりやさんは十年前に公演で初めてこの曲を演奏し、作詞者がご自身であったことも公表しました。実家で母と紅白を見て本当に感動しました。

 歌ができた翌年、六十四歳で他界した父が、この歌が大好きで、最期までずっと口ずさんでいた。母はつらすぎてずっと封印していたんです。でも、あの夜、まりやさんの歌声を聴いて、ようやく「解禁」となった気がします。

 −もともと〇八〜〇九年のNHK連続テレビ小説「だんだん」の劇中歌だった。ドラマは島根県出雲市が舞台で、タイトルは出雲弁で「感謝」の意味。産んでくれて育ててくれた感謝をつづっている。

 ロケで出雲大社や宍道湖(しんじこ)を巡り、夏から秋に移ろう湖の夕映えから曲が浮かんできました。当初は出雲大社にちなみ「縁(えにし)の糸」をイメージした「母なる宍道湖」という題で、詩のない劇中曲でした。

 −出雲で曲が生まれ、出雲出身の竹内さんが作詞。まさに「縁の糸」だ。

 映画やドラマの曲、いわゆる「劇伴」の作家である僕と、まりやさんの交流が、この歌をきっかけに深まり、海外アーティストへの楽曲提供へと音楽の幅を広げられた。一八年に僕が歌い手として本格的に活動しだす、運命を変えてくれた一曲です。

 −子どもの頃、同郷の世界的ジャズピアニスト上原ひろみさんと同じピアノ教室に通った。

 八歳から八年間、一緒でした。中一の発表会では、二台のピアノで合奏も。舞台でいつもびくびくしていた僕に「もったいない。演奏をもっと楽しまなきゃ」と励ましてくれた。いま大勢の前に立てるのも、ひろみちゃんがいたからこそ。大切な親友です。

 −高一の時、浜松市で初開催の音楽コンクール「ジャパンオープン」で市民賞を受賞した。審査委員長の音楽家服部克久氏は、作曲の才能を称賛した。

 懐かしい! 後にレコード会社からスカウトされ、商社マンだった父の教えもあり、会社員としての人生を選ぶべきか迷いました。その際、熱心に後押ししてくださったのが服部先生。音楽家へと導いてくださいました。

 −「いのちの歌」が歌い継がれる中、東日本大震災以降も自然災害が相次ぎ、亡くなった人や被災した人が多い。

 二年前、親友をバイク事故で亡くしました。父の死と合わせて「生きることの意味」は、年を取るごとに、重みを増してきています。自分でカバーしたこの歌を、シンガー・ソングライターとして初のアルバム「青き海辺のカタルシス」(一八年)に収録し、インターネット配信でシングルカットもしました。核家族化、少子・高齢化が進む、混沌(こんとん)とした今こそ、少しでも多くの方々に、この曲のメッセージを歌い届けていきたい。

(聞き手・成田雅志)

 むらまつ・たかつぐ 1978年、浜松市生まれ。浜松日体高、国立音楽大作曲学科卒。高校在学時、ピアノソロアルバム「窓」でプロデビュー。以後、映画やテレビドラマ、舞台、ミュージカルなどの作曲、音楽プロデュースなどを手掛け、2017、18年、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。15年に開校した浜松湖北高の校歌も作曲した。昨年10月のザ・フェニックスホール(大阪)での公演が台風19号のため2月2日に延期。午後5時開演(チケット発売中)。

 

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