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極め人

パラアイスホッケーGK 福島 忍さん 氷上で志燃やす

◆経験による読み 武器

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 パラリンピックに四度出場し、六十代になっても世界で戦い続ける「レジェンド」がいる。氷上の格闘技と呼ばれるパラアイスホッケーで、日本の守護神を務める福島忍さん(62)=藤枝市。「負けてたまるか」。いまだ冷めぬ情熱が、レジェンドを突き動かす。

 −障害とどのように向き合ってきたか。

 二十四歳の時、通勤途中のバイク事故で脊髄を損傷し、下半身不随になった。その後の人生を方向づけたのが、リハビリ専門医が勧めてくれた車いすバスケだった。パラリンピック長野大会(一九九八年)の代表入りを目指して猛練習を重ねた結果、三年ほどで股関節を痛めて断念。二年後の長野大会に向けて選手を公募していたパラアイスホッケーに転向した。競技うんぬんよりも、国際大会を経験してみたいという思いが強かった。

 幼いころからスポーツが好きだったが、あくまで楽しみの一つ。日本代表という大きな目標に向かってまい進する競技人生は、障害者にならなければありえなかった。障害者になってからの方が、人生がより充実している。

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 −六十代まで現役を続ける原動力は。

 長野大会の代表選考に漏れた時は、一年近く競技から離れるほど悔しかった。代表に定着しても補欠がしばらく続き、パラリンピックで正GKを務めたのは昨年の平昌大会が初めてだった。「負けてたまるか」という気持ちが大きなバネになった。苦労してつかんだポジションを簡単には明け渡したくない。

 二十年前に結婚した妻の存在も大きい。結婚当初、妻は体外受精での妊娠を希望したが、私は競技に専念したかった。夫婦で話し合い、最終的に妻は私の意思を尊重してくれた。妻に散々苦労を掛けているのに、中途半端なことはできない。

 −平昌大会後も代表の守護神を務めている。二〇二二年のパラリンピック北京大会への思いは。

 平昌大会では他競技も含めて日本選手団の最年長だった。現段階では、北京大会に出場している自分をイメージできない。そろそろ後進に道を譲ろうかという気持ちにもなるが、リンクに出ると負けん気が顔を出してくる。日の丸を背負う以上、いいかげんなプレーはできないですよ。

 五年ほど前から反射神経や動体視力の衰えを感じるようになってきた。ただ、GKというポジションは経験による読みも大きな武器になる。最近は十分間の筋トレだけが日課。この年になると、現状維持も簡単な目標ではない。

 −静岡県でアイスホッケーを続ける苦労は。

 長野県のアマチュアチームに所属しており、平昌大会までの約二十年間、長野県の練習場に毎週末通った。金曜の仕事を終えてから土曜の未明に自分で車を運転して出発し、片道で三時間近くかかる。大変だけど、長野に移り住もうと考えなかった。厳しい環境の方が燃えるし、乗り越えるために頑張れる。静岡に住んでいるからこそ、競技への思いが強くなり、ここまで続けてこられたと思う。

(聞き手・佐野周平)

 ふくしま・しのぶ 藤枝市出身で葉梨小、西益津中卒。パラリンピックは2002年のソルトレークシティー大会を皮切りに4回出場。10年のバンクーバー大会では銀メダル獲得に貢献し、18年の平昌大会では正GKとして全5試合に出場した。車いすや福祉用品の販売会社でアルバイトとして働く傍ら、長野県のアマチュアチーム「長野サンダーバーズ」に所属する。

<パラアイスホッケー>スケート刃2枚を付けた専用そり「スレッジ」に座った状態でプレーする。両手に持った2本のスティックでパックを運び、相手ゴールに入れた点数を競う。体当たりも認められ、激しい肉弾戦が見どころ。1チーム6人で戦い、試合時間は3ピリオドに分かれて計45分間。

 

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