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元警察庁長官 国松孝次さん オウム 悔しさ今も

◆狙撃で離脱 余儀なく

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 全警察のトップである警察庁長官を務めた国松孝次(たかじ)さん(81)=浜松市出身=は、あさま山荘事件やオウム真理教事件などの大事件を経験した。長官時代には、何者かに狙撃される前代未聞の事態にも遭遇した。数々の苦難に直面した三十六年間の警察人生を聞いた。

 −長官時代、オウム真理教と対峙(たいじ)した。

 松本サリン事件(一九九四年六月)までオウム事件はほぼ全て地方で起きており、捜査の陣容が整いにくかった。警察が戦前に宗教団体を弾圧したという批判が根強かったのも、手を出すのを躊躇(ちゅうちょ)させた一因かもしれない。

 それでも、坂本弁護士一家殺害事件(八九年)を調べていた神奈川県警は、九四年秋には旧上九一色(かみくいしき)村(山梨県)のアジト「サティアン」周辺の残土を調べ、猛毒サリン生成の残滓(ざんし)物を検出していた。

 九五年二月に公証役場事務長監禁致死事件が東京で起こり、警視庁が捜査権を得たことで陣容が整った。オウムの一斉捜査をやろうとしたが、その矢先の三月二十日、地下鉄サリン事件が起きてしまった。警察は一生懸命やったが結果的に後手に回った。被害者と遺族には申し訳ないと言う以外にない。

 −昨年七月に麻原彰晃(本名・松本智津夫)教団元代表ら元幹部十三人の死刑が執行された。

 一連の事件で十三人が死刑になるというのは、かつてない集団犯罪。技術者や医者のような知的レベルの高い若者たちが麻原のいいなりになったのは、社会で自分たちが報いられない、活躍する場がないという閉塞(へいそく)感が生じていたのも原因だったのではないか。

 同じような組織犯罪が二度と起こらないようにするのが何より大切。幹部の証言など裁判記録を精査し、優秀な若者が麻原に洗脳されていったいきさつを明らかにする必要がある。

 −狙撃されたのは地下鉄サリン事件から十日後だった。

 出勤で八時半ごろにマンションを出たら後ろから撃たれて、三発連続で当たった。死を覚悟し、病院の集中治療室に警察庁次長を呼んで長官の後任人事を進めるよう頼んだが、「(オウムと対決する時に)辞めるなんて言ってる場合じゃありません」と血相変えて怒られたよ。

 生死の境をさまよったが九死に一生を得た。もし警察の親分が殺されていたら、収拾がつかない事態になっていただろう。私の命を救った先生は、国を救ってくれたのだと思う。

オウム事件や狙撃事件について語る元警察庁長官の国松孝次さん=東京都千代田区内幸町で

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 −狙撃事件は時効となった。オウム犯行説のほか、犯人だと主張する男もいる。真相をどう考えるか。

 未解決で終わったのは残念だし、(狙撃されて)捜査から離脱せざるをえなかったのは悔やまれる。時効になった以上、誰がやったかを詮索するのは無意味。オウムにしても、犯人を名乗る男にしても、犯行をうかがわせる『証拠』はそれなりにあるのだろうが、どちらともいえないとしか話しようがない。

 −警察を志した理由は。

 警視庁主席師範も務めていた大学剣道部の師範に勧められたのがきっかけ。警察では剣道がお家芸だから、人間関係を築くのに役立ったよ。

 −警視庁広報課長だった一九七二年には、あさま山荘事件を経験した。

 報道陣が千五百人も来て大変だった。救出作戦前に報道協定を結べたのは、警察もマスコミも「人質を助けたい」という思いで一致していたからだと思う。

 −民間人一人と警察官二人が死亡した。

 亡くなった内田尚孝さん(警視庁第二機動隊長)は剣道六段で、一緒に稽古した仲だったからひとしお悔しかった。額を撃たれた内田さんが血で染まって運ばれる一方、犯人たちがけが一つなく連行されるのを見た時は警察という仕事のつらさを痛感した。

 −現在の活動は。

 救われた命を社会貢献に生かそうと思い、ドクターヘリ導入を進める活動に精を出している。ヘリは国内に五十三機まで増えた。今後は県境を越えた広域活動が可能になるよう、現場の病院にお願いしていく。

 −これから静岡が果たすべき役割は。

 防災面での先進県になってほしい。日本人の防災意識は希薄なので、静岡県民が日ごろから地震や台風に備える心を養い、国民の模範となってくれたら。

 外国人材受け入れも、今後避けて通れない大問題。浜松市はブラジル人の定住政策で行政と民間ボランティアが効果的に連携できているので、先進事例を全国に広めてもらいたい。

(聞き手・杉原雄介)

 くにまつ・たかじ 1937年6月、浜松市中区生まれ。浜松西高から東京大法学部を経て、61年に警察庁入庁。警視庁公安部長や兵庫県警本部長、警察庁刑事局長などを歴任し、94年7月から97年3月まで警察庁長官を務めた。現在はNPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」の会長。

 <あさま山荘事件> 1972(昭和47)年2月19〜28日、過激派武装グループ「連合赤軍」のメンバー5人が、女性1人を人質に長野県軽井沢町の河合楽器保養所の浅間山荘に立てこもった事件。警察は巨大鉄球などを使った強行突入で人質を救出し、犯人全員を逮捕したが、犯人側の銃撃により警察官と民間人計3人が死亡。27人が負傷した。

 

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