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極め人

卓球 伊藤美誠選手 元王者に勝ち「進化」

◆苦しい時も口角上げて

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 卓球強豪国・中国のメディアは、その強さから「大魔王」と呼ぶ。磐田市出身の伊藤美誠(みま)選手(18)。女子団体で銅メダルを取った二〇一六年のリオデジャネイロ五輪後、試合でいい結果が出ない日々が約一年も続いた。苦しみを経験して気づいたのは、楽しむことの大切さだった。

 −一八年五月の世界選手権団体決勝で、元世界ランキング一位で中国の劉詩●(りゅうしぶん)選手を破って日本チームで唯一勝利し、国際卓球連盟から特別表彰を受けるなど、一八年は好成績を残した。

 一七年と比べてすごく良かった。調子が良い時が長く、悪い時は一カ月ちょっとで終わらせられた。そこが成長したところだと思う。以前は中国選手と対戦する機会が少なく、一度勝って満足していたが、一八年は中国選手と対戦して当たり前、勝って当たり前になった。心の持ち方が変わって(中国選手との対戦が)楽になりました。

 −リオ五輪後、なかなか勝てなかった。

 インタビューで、いつも「実力でメダルを取ったと言われる選手になりたい」と答えていたが、それが自分へのプレッシャーになり、楽しんで卓球ができなかった。でも、(平野美宇選手ら)同世代の活躍が刺激になり、練習方法を大きく変えたのが良かった。調子がいいのに勝てない時期もあったが、今は練習や試合を楽しむという思いでやっています。

「東京五輪出場、優勝に思いを定め前を向く」と話す伊藤美誠選手=東京都武蔵野市で

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 −二〇一八年から世界ランクの評価方法が変わり、世界ツアーでポイントを稼がないと上位を維持できなくなった。中国選手のツアー参加も増えている。

 中国選手との対戦機会は本当に増えた。重要な大会で全力で向かってくる中国選手に勝つことは難しいだけに、世界選手権で劉詩●選手に勝てたのは、印象に残っている。中国メディアに「大魔王」と呼ばれるのも、認めてもらえた気分ですごくうれしいです。

 −試合では意識して笑みを作っているようだ。

 苦しい時でも口角を上げるように意識している。一七年の良くなってきた時期から始めた。相手は何を考えているかが分かりにくく、やりづらいのでは。

 −同世代の平野美宇選手(沼津市出身)はどんな存在か。

 試合を始めた五歳ごろから、友達でもあり、ライバルでもある。お互いに切磋琢磨(せっさたくま)しており、レベルアップに必要な存在です。

 −二歳から卓球を始め、四歳から小学校卒業まで一日七時間、土日も休まず、お母さんと基礎的なラリーを繰り返した。

 本当に苦しかった。でも、そんな時期があったから、苦しい時でも笑っていられると思います。

 −当時は磐田市にある水谷隼選手の両親が指導する卓球クラブにも通った。

 週二日、クラブに行くと友達と卓球ができるのが楽しかった。お母さんもだんだん分かってくれました。この子は楽しんでやる子なんだって。

 −磐田にはどれぐらいの頻度で帰るか。

 一年に三回ぐらい、だいたい二泊三日です。実家にいると、本当にほっとします。滞在中は必ずハンバーグの店「さわやか」に行きます。時間があれば、和菓子の玉華堂や通った小学校も訪ねたいですね。

 −一九年をどんな年にしたいか。

 いい年にするには、自分で開くしかない。東京五輪出場の選考シーズンで、精神的にも負担はかかると思う。前回の五輪と違い、今回は期待されている。調子のいい時も悪い時も、五輪出場、優勝に思いを定め、前を向くだけです。

(聞き手=報道部長・萩文明)

 いとう・みま 2000年10月、磐田市生まれ。元実業団選手の母・美乃りさんの影響で2歳から卓球を始める。磐田北小卒業後、大阪・昇陽中進学を機に私塾「関西卓球アカデミー」の門をたたく。14歳だった15年のドイツ・オープンでワールドツアー初優勝。18年は6月のジャパン・オープンと11月のスウェーデン・オープンでシングルス優勝、12月に韓国であった年間最終戦ではダブルスで優勝した。同月の世界ランクは7位。昇陽高。スターツ所属。

文中●は「雨」の下に「文」

 

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