トップ > 静岡 > あのとき、それから しずおか平成史 > 記事一覧 > 2019年の記事一覧 > 記事

ここから本文

あのとき、それから しずおか平成史

世界遺産・富士山(上) 転換

◆文化的価値に着目

富士山の世界文化遺産登録の決定を受け、握手する川勝平太知事(右)と山梨県の横内正明知事=2013年6月22日、プノンペンで(共同)

写真

 カンボジアの首都プノンペンで、川勝平太知事は山梨県の横内正明知事(当時)と笑顔で握手を交わした。二〇一三(平成二十五)年六月二十二日、現地で開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は、世界文化遺産に富士山を登録することを決めた。

 登録を目指す動きは、日本が世界遺産条約に加盟した一九九二年からあった。当初は自然遺産を目指したが、ごみ問題などが解決せず、国内の検討段階で見送られ、国は二〇〇三年、候補から外した。

 一方、文化遺産には「文化的景観」という基準がある。「聖山」としての歴史や多くの芸術作品を生んだ価値を証明できれば登録されるのではないか−。〇六年、静岡、山梨両県は、構成資産四十二件とともに文化遺産としての富士山を国に提案。〇七年、国の了承を経てユネスコ世界遺産センターの暫定一覧表に記載され、足掛かりができた。

 同年四月に県の世界遺産推進室長を引き継いだ大野剛さん(69)は「ここからが大変だった」と振り返る。他の世界遺産でも暫定一覧表への記載から登録まで六年程度かかっている。構成資産がある市町や自然保護団体などに説明に回った。

 世界遺産への登録にユネスコは「顕著な普遍的価値」と「適切な保護管理」の証明を求めている。登録に向けての推薦書の原案は静岡、山梨両県が作成しなければならない。四十二件の構成資産を白紙に戻し、両県の市町村から推薦を募ると、三百件超の候補が挙がった。大野さんらは一つ一つを精査し、一〇年に二十五まで絞り込んだ。

 構成資産のうち富士五湖(山梨県)の観光業者らは当時、「世界遺産登録で新たな規制がかかれば商売に差し支える」と猛反発した。両県の足並みがそろい、国へ原案を提出したのは翌一一年となった。

 静岡県側の構成資産の関係者にも困惑がなかったわけではない。山宮浅間神社(富士宮市)は富士山そのものがご神体で社殿がない。珍しさから混雑が予想された。当時の年間参拝客は約五百人。氏子総代会長の赤池健次さん(69)は「大型バスをさばけず、渋滞が起きる」と心配していた。

 実際、参拝客は多い年で二万五千人ほどに増えたが、滞在時間は三十分ほど。混雑や渋滞は起きなかった。増えたさい銭で神社の修繕ができるようになった上、近隣企業の従業員が掃除に訪れるなど地域の誇りと責任感につながる効果もあった。

 富士山と駿河湾を一望できる三保松原(静岡市清水区)も構成資産として重要な役割を果たす。ただ、ユネスコの諮問機関は、登録が決まる直前まで「遠すぎる」などの理由で除外を勧告していた。覆すために、奔走した人がいた。

   ※    ※

 長い歳月をかけて世界遺産になった富士山。歩みを振り返り、その意義と恩恵を令和の時代にどう引き継ぐかを探る。

<世界文化遺産・富士山> 登録名は「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」。標高1500メートル以上の「富士山域」(静岡、山梨両県)と、周辺の文化財など静岡8、山梨16の計25の構成資産からなる。構成資産の総面積は約2万ヘクタール、緩衝地帯は約5万ヘクタール。

<構成資産> 世界遺産の価値を具体的に証明できる資産。静岡側の資産は富士山本宮浅間大社、山宮浅間神社、村山浅間神社、人穴富士講遺跡、白糸ノ滝(以上富士宮市)、須山浅間神社(裾野市)、須走浅間神社(小山町)、三保松原(静岡市清水区)。

写真
 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索