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あのとき、それから しずおか平成史

アクトシティと浜松市街地(4) 街中再生

◆活気戻ると信じて

松菱新館(右)とザザシティ浜松中央館(左)をつなぐ連絡通路。一度も使われないまま解体された=2007年、浜松市中区で

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 二つの建物を空中でつなぐ約十メートルの連絡通路。浜松市中心街に再度、にぎわいをもたらすはずだった「懸け橋」は、誰も渡ることなく、完成から十四年後の二〇一五年に取り壊された。

 松菱閉店から八日後の〇一年十一月二十二日、ザザシティ浜松中央館(中区鍛冶町)がオープン。三階から東へ延びる連絡通路は、道を挟んで立つ松菱の新館とつながっていた。

 先行した西館とともに、にぎわい復活の期待をかけられたが、開業前の松菱の閉店で片翼をもがれ、低空飛行を強いられた。やがて、郊外にショッピングモールや大型店が続々と誕生。街中の人出はめっきり減り、十年後、中央館の運営会社は自己破産した。

 経営を引き継いだのは、総合設備工事業の日管(中区池町)。商業ビルの運営は初めてだった。三輪容次郎社長(73)は「テナントさえ入れば何とかなると思ったが、大間違いだった」と苦笑する。店の入れ替えを重ねてきたが、今も年間五千万円近い赤字だという。

 一九九四年に完成した複合ビル、ビオラ田町(中区田町)も憂き目に遭った。商業区画の大半を占めていた家電量販店が〇六年に撤退し、管理会社の資金繰りが悪化。競売の末、一一年、地元の丸八不動産(同)が取得した。

 入札を決めた平野修会長(70)は、街中の物件として再生の可能性を見込み、調査を重ねていたという。しかし、「周りからは『(ビオラの)葬儀委員長をやるのか』とか、散々なことを言われた」と振り返る。

 周囲の忠告はある意味で当たり、当初出店を見込んだテナントに軒並み断られた。あるスーパーには「三百万円もらっても無理」と突っぱねられた。「借りてくれる人がいないなら自分でやろう」と、現在は自社でネットカフェやホールを直営。本社もビオラに移転し、駐車場と合わせて年間十八万人近くが訪れる。

 ザザ中央館、ビオラともに再開発事業として国、県、浜松市も関与し、それぞれ三十二億四千万円と三十四億八千万円の公費が投入された。

 姿を消した大型店も。〇七年にはイトーヨーカドー浜松駅前店(中区鍛冶町)が閉店。松菱の南側に近接していたショッピングセンター「浜松モールプラザサゴー」も、一二年二月に営業を終えた。

 商店街に目を向けると、老舗の呉服店や和菓子屋がフランチャイズの居酒屋に。店主らでつくる浜松商店界連盟の御園井智三郎会長(58)=御薗井商会社長=は「商店の数は松菱の営業時の十分の一ほど」と肩を落とす。

 街中の衰退は、どうしたら止められるのか。日管の三輪社長は「ここ数十年で街中の働き手が出て行ってしまった。昼間人口を取り戻さなければ」と指摘し、駅前に高層マンションの建設が進む現状を「活気が増す」と歓迎している。

 丸八不動産の平野会長は、米国で市街地への人口回帰が進んでいることを引き合いに「郊外へ出て行った人は必ず戻ってくる。われわれは良質な物件を提供し続けるだけ」と前を向く。

 松菱閉店から二十年弱。「街中再生」という難問の正解はいまだに見つかっていない。

=おわり

 (古根村進然、伊東浩一、鈴木啓紀が担当しました)

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