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あのとき、それから しずおか平成史

アクトシティと浜松市街地(3) 松菱閉店

◆甘い見通し夢崩れ

浜松市の中心市街地にある松菱の跡地。再開発計画は立っていない=浜松市中区鍛冶町で

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 浜松市の中心街・鍛冶町の一角にぽっかり空いた土地。かつてここには老舗百貨店「松菱」があった。

 二〇〇一(平成十三)年十一月十四日。開店するはずの午前十時すぎ、松菱の各入り口に自己破産の告知が張り出された。セール初日の予定で、何も知らない客が大勢詰め掛けていた。

 破綻に向かう時計の針が動きだしたのは、元号が昭和から平成に変わった一九八九年、新館計画が始動した時だった。百二十億円の巨費を投じて欧風の外観の新館などを整備し、県内百貨店最大の売り場面積に増床。内装にもぜいを尽くす大プロジェクトになった。

2001年11月に閉店した当時の松菱=浜松市中区鍛冶町で

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 当時の中堅幹部は経営陣に見通しの甘さを警告していた。販促部長だった八幡敬三さん(76)は「売り場を広げても、売り上げはその半分しか伸びないというのが業界の定説。なのに、増床で過大な増収を見込んでいた」。外商部の課長だった藤田允さん(71)も「抗議したが、経営陣は『売り上げは自然に付いてくる』と、あくまでも巨艦主義だった」と振り返る。

 時代はバブルのさなか。経営陣だけでなく調査機関も増床を推奨した。八八年、浜松駅前に開業した遠鉄百貨店への対抗意識もあったようだ。だが、新館が開業した九二年にはバブルは崩壊していた。

 23%の増床に対して開業初年度(九三年二月期)の売り上げは7・8%増にとどまった。巨額の負債だけが残り、以後、九期連続で経常赤字を計上し、破綻の道を歩む。八幡さんは「分をわきまえていれば」と悔しがる。

 松菱閉店後、官民連携の再生協議会が一等地の復活を期して跡地の活用を模索した。二〇〇三年、大型店を核とする商業施設の建設を提案した不動産会社アサヒコーポレーション(浜松市中区)を開発者に選んだ。核店舗としてロフト、松坂屋、そして大丸の名が挙がった。

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 特に大丸は〇七年にアサヒと基本協定締結にまでこぎつけた。当時、大丸の経営陣と面談した元市議会副議長の高林龍治さん(66)は「大丸側は『浜松には魅力がある』と言った。松菱の元社員五十人を即戦力として採用する話も出て、こんなにうれしいことはないと思った」と回想する。

 喜びもつかの間、〇八年のリーマン・ショックなどの影響で〇九年、大丸は出店を断念した。以後、景気が回復基調になっても、大型店出店の動きは途絶えている。跡地の開発が難航する中、長年放置され「幽霊ビル」と言われた松菱本館などは一二年に、新館は一五年に解体された。

 アサヒは現在、商業だけでなく、オフィスやホテルも備える複合ビル建設へと軌道修正している。進まぬ開発に、高橋良周企画営業部長は「われわれの努力不足。市街地の力も相当低くなっている」と説明。「街のにぎわいに貢献したいとの思いは変わっていない」

 だが、二〇年の東京五輪による建設費の高騰もあり、具体化のめどは立たない。鍛冶町の今年一月一日時点の公示地価は一平方メートル当たり六十三万五千円で、〇九年比でも13・3%下落している。移り変わる経済状況や消費者の動向に再開発計画が追いつけないまま、時だけが過ぎている。

 

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