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あのとき、それから しずおか平成史

B級グルメ(3) 静岡おでん<上>

◆しぞーか文化守れ

客でにぎわう青葉横丁。初めて会った人も「静岡割り」で乾杯=静岡市葵区の「おばちゃん」で

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 二〇一八年十二月下旬。平成最後の師走も、静岡市葵区の「青葉横丁」は酔客であふれていた。のれんの先に、あつあつの「静岡(しぞーか)おでん」がある。

 客の一人は手始めに黒はんぺんを頼んだ。サバやイワシをすりつぶし、蒸してある。静岡おでんの主役だ。客は、これでもかと卓上のだし粉と青のりを振りかけた。

 横丁で一、二を争う人気店「おばちゃん」。真っ黒のだし汁から、店主の杉浦孝さん(44)が串に刺さった牛すじや大根を取り出し、客に手渡した。どれも税込みで一本百八円。

 酔客の多くは、入れ立ての緑茶で焼酎を割った「静岡割り」を頼んだ。静岡おでんと相性がいい。

 静岡おでんが全国に名を広めたのは、平成も半ば、二〇〇二(平成十四)年に発足した「静岡おでんの会」の功績が大きい。

 その前年、市職員だった杉山幸信さん(68)は講座「静岡おでん考」を企画した。世間を席巻し始めていたコンビニおでんの存在が脳裏にあった。

 ファミリーマートの一九七八年ごろを手始めに、コンビニ各社は、おでんの店頭販売に参入。杉山さんが幼少期に通った駄菓子屋おでん、つまり静岡おでんの影は薄くなる一途だった。

 「コンビニおでんが一般的になったら、静岡おでんの食文化を知る人がいなくなってしまう」

 有志約六十人が「静岡おでんの会」を結成。初代会長には、漫談家で、グルメ愛好家の大石正則さん(70)=現顧問=が選ばれた。

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 静岡おでんを紹介するマップを作成するため、九カ月で食べ歩いた店は約百二十。カロリーが低く、ダイエット食としても紹介されるおでんだが、六キロは太ったという。この間、テレビに雑誌、新聞と四十社強の取材を受けた。

 いくつか取り決めた。「静岡」は方言で「しぞーか」と発音。「黒はんぺん入り」などの「5か条」も定めた。一つでも満たせば静岡おでんと認める。

 〇二年十一月のマップ発表会では、千人近くにおでんを振る舞った。全国からマスコミが駆け付け、大石さんは立ったまま六時間、取材を受けた。

 〇六年にはビールのCMに取り上げられ、翌年のB−1グランプリで三位に輝く。〇六年から毎年、青葉横丁近くで開く「おでん祭(現在はフェア)」では金沢や石巻など全国のおでんが一堂に会する。横丁はドラマ化された漫画「孤独のグルメ」に登場した。

 室町時代、豆腐を串に刺し、みそを付けて食べる「田楽」が発祥とされるおでん。会によると、静岡おでんは大正期、牛すじや豚モツを廃棄せず、煮込んだことに始まる。焼津や由比など練り物の産地も近く、黒はんぺんがセットに。

 戦後、市役所前に並んだ二百の屋台は静岡国体(一九五七年)を契機に、青葉横丁などに移った。

 「昔は学校帰りに駄菓子屋や公園で食べた」と大石さん。小腹をすかせた子どもにも愛された。

 大石さんによると、静岡おでんを扱う店は市内に約千軒ある。平成に入り、街中から子どもの姿が少なくなり、駄菓子屋は減っていった。しかし、杉山さんが子どものころに親しんだ駄菓子屋おでんがなくなったわけではない。

 

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