トップ > 静岡 > 地域特集 > イチ推し > 記事一覧 > 2020年の記事一覧 > 記事

ここから本文

イチ推し

初代県知事・関口隆吉 激動期 静岡発展に心血

 幕末から明治の激動期を生きた初代県知事、関口隆吉(たかよし)(一八三六〜八九年)。関口が一時期暮らした菊川市では、JR菊川駅前に新たに銅像を設置し、没後一三〇年を経て、再びその功績に注目が集まっている。県内に残るゆかりの地を訪ねた。

◆徳川慶喜の警護で駿府へ/牧之原台地開墾馬で通勤

菊川市制15周年を記念し、JR菊川駅南側に設置、除幕された関口隆吉の銅像=菊川市で

写真

 菊川市の中央部に位置する月岡地区に足を運んだ。住民九十人ほどの小さな集落。一八七〇年からの一年間、関口が屋敷を構えた。牧之原台地開墾に挑んだ旧士族を指揮した関口は、月岡から馬で台地に通ったという。屋敷跡付近には顕彰碑が立つ。

 月岡では三十年余り前から、住民でつくる関口の遺徳顕彰会が活動している。広報を担当する鈴木邦雄さん(71)のほれ込み具合は半端ではない。「関口のすごさは、先見の明があること。農民や地域を助けようという強い意志があったからこそ、牧之原の開拓やJR菊川駅の開駅があった。今でも恩恵を受けている人が数多くいる。この功績に、もっと光が当たっていい」

 関口は、飢饉(ききん)に備えた保存食のレシピをまとめた救荒書(きゅうこうしょ)など各種図書を集め、図書館をつくろうとした。今も久能文庫として県立図書館に所蔵されている。干ばつに苦しむ農民のため、天竜川の水を導水する社山疎水事業には私財を投じた。

◆出張中の列車事故…早世

墓地の中央部にあり、植栽された区画が関口隆吉の墓所=静岡市葵区の臨済寺で

写真

 治水農政、教育、東海道線敷設など数々の業績を残した関口。八九年、出張で乗った東海道線の貨車が静岡市内で正面衝突の事故を起こした。状況は八木繁樹さんの著書「関口隆吉の生涯」に詳しい。積み荷の鉄片が左足に刺さり、重傷を負った。この時、関口を運んだと伝わる民家の戸板が御前崎市の池宮神社の宮司屋敷に保管されている。神職に案内してもらうと、うっそうとした木立の中、築二百年の屋敷が残っていた。戸板は座敷に立て掛けてあった。悲劇的な事故を思い起こさせるが、血痕は見えない。

 破傷風で五十代で生涯を終えた関口は「私が死んだら臨済寺に葬ってくれ」の遺言通り、静岡市葵区の同寺に眠る。墓地の中央にある墓所は周囲と区切られた立派な造り。関口の墓石は妻の墓石と並び、静かにたたずんでいた。

 

写真

 <関口隆吉> 御前崎市の池宮神社宮司家出身の関口隆船の次男として、1836年、江戸で誕生。最後の将軍徳川慶喜を警護して駿府(すんぷ)に来た。明治新政府でも重用され、勝海舟らと親交があった。高等法院陪席判事、官選の初代静岡県知事などを歴任。牧之原台地の開拓や静岡英和女学院設立、菊川駅開駅、熱海梅園の造園など数々の業績を残した。

 

写真

河野貴子記者(菊川・御前崎通信部)

 県内出身ながら、菊川に赴任して初めて関口隆吉のことを知った。遺徳顕彰会広報の鈴木邦雄さんが人物像や功績を熱く語るのを幾度も聞くうち、感化されてきた。何とも劇的な人生を送った人物。早世が惜しまれる。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索