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イチ推し

幕末ロマン、下田を歩く 開国の港に「お吉」悲話

お吉の生涯について話す竹岡宏子さん=下田市の宝福寺で

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 黒船の来航や国内初の米国領事館の設置、偏見にさらされながら一生を終えたという女性−。江戸時代末期、開国の舞台となった下田市は、今も当時の面影を残す。明治元年から百五十年という節目を迎え、各地で再び脚光を浴びる「幕末」の魅力に誘われ、まちを歩いた。

■黒船「島が動いた」

 冷たい潮風が海から吹き付ける三月上旬。「船は真っ黒だしね、昔の人たちは島が動いたと思ったらしいよ」。下田市観光協会のまち歩きガイドを務める加畑國衛さん(81)が、下田港を望むペリー提督の胸像を前に笑った。

下田条約の調印地となった了仙寺を紹介する加畑國衛さん=同寺で

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 下田は、一八五四(嘉永七)年三月の日米和親条約締結を受け、すぐに開港を迫られることになった。加畑さんの案内で胸像から「ペリーロード」へ入った。小川をはさんで石畳の道が走っており、伊豆石造りの建物や柳並木など和の情緒が漂う。軍楽隊演奏の中、ペリーが約三百人の水兵を率いて行進したといい、当時の人たちは驚きや不安、興味などいろんな感情を抱いただろう。

 門をくぐると、同条約の細則を定めた下田条約調印地、了仙寺の本堂が見えてきた。ここで、米船員の上陸場所や休息所などが決められた。「この近くの長楽寺では、日露和親条約が調印されたんだ」と加畑さんは誇らしげだ。この頃、使節団を受け入れる広さが求められ、条約交渉などに寺が利用されたという。

■生涯終え宝福寺に

19歳の頃のお吉(宝福寺提供)

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 加畑さんに別れを告げて向かったのは宝福寺。下田開港の悲劇のヒロインとして知られる「お吉」の菩提寺(ぼだいじ)だ。勝海舟が土佐藩主山内容堂に、坂本龍馬の脱藩の罪を解くよう求めた場所としても知られる。

 「放置されていたお吉の遺体をふびんに思った十五代住職、竹岡大乗が供養しました」。十八代住職の竹岡幸徳さん(69)の妻、宏子さん(60)が墓前で静かに語った。

 お吉(本名・斎藤きち)は一八四一年、愛知県生まれ。幼少で下田に移り、芸者として生計を支えた。だが、初代米国総領事タウンゼント・ハリスに仕えたため「唐人」とさげすまれ、後に「お吉ケ淵」と呼ばれる川のふちに身を投げて生涯を終えたとされる。

 「お国の要請でハリスの元へ送られたが、恋人のいた十七歳のお吉は当初、拒んだといわれている」と宏子さんは話す。そんな姿に同情した教育者、新渡戸稲造はお吉ケ淵のそばに地蔵を建て、悲話は小説や映画となった。「時代に翻弄(ほんろう)されながら生きたお吉は、本当にしんの強い女性だったと思う」

■命日27日に「祭り」

 下田市内では、開国の歴史に触れられるイベントが行われており、「お吉祭り」もそのひとつ。毎年、お吉の命日の三月二十七日に開催。今年も地元の芸者が参加し、お吉ケ淵や宝福寺で法要が営まれる。

 「黒船祭」は五月十七〜十九日に開く。了仙寺で下田条約の調印場面を再現した寸劇をし、目抜き通りで米海軍らによるパレードも行う。花火大会もあり、まちがにぎわう。

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古根村進然記者(浜松報道部)

 浜松市出身。もともと「幕末」が好きで、赴任地でゆかりの地を訪れてきた。新しい時代を切り開こうと苦闘した先人たちの営みを、魅力的に感じる。下田を含め伊豆半島は、歴史や自然が豊かで興味が尽きない。次はどのまちへ向かおうか。

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