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浜松歴史のとびら

川上源一さん ヤマハの楽器、世界最大に育てる

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 川上源一さんは、1912(明治45)年、今の浜松市東区恒武町に生まれ、2002(平成14)年に亡くなりました。

 源一さんは、山葉寅楠が1887年(明治20)年に創業した今のヤマハを、4代目、6代目社長として世界最大の楽器会社に育てました。社長当時の会社名は日本楽器製造でした。

 源一さんは戦後まもなく欧米に視察旅行に行き、若者がギターを背負ってハイキングをし、楽しそうに歌っている姿を目にしました。当時の日本では、ピアノやオルガンは売れるものの、家庭で自由に楽しく演奏する姿は、あまり見られませんでした。音楽を身近なものにするため、音楽教室の設立を思い立ちました。 音楽教室を通して、ピアノを買っても奏でる術を知らない人や、音楽は難しいという先入観のある人に、音楽は易しく、ピアノを奏でることは楽しく、誰にでもできることを、全国に広めていきました。

 1959(昭和34)年、電子オルガンを開発しました。「エレクトーン」の商品名は、世界の電子オルガンを代表するほど広く知られるようになりました。 源一さんは、ヤマハ発動機の創業者としても有名です。源一さんがオートバイに取りかかった時、すでに200社以上が製造していました。「今ごろオートバイを?」という声があったものの、戦争中、飛行機用のプロペラを製造していた機械と技術があることから、将来の事業発展の足がかりとして挑戦しました。「赤トンボ」の愛称で呼ばれたオートバイを売りだし、高い評価を得ました。

 源一さんは、その後、新しい分野に積極的に挑戦し、ゴルフやボート、マリンレジャーなどにも事業を広げていきました。より多くの人に心豊かな楽しいくらしを体験してもらうために、音楽教室やボートの免許教室など、さまざまな教室をつくり、普及させました。

<もっと知りたい人へ>

参考文献:『私の履歴書 狼子虚に吠ゆ』川上源一(日本経済新聞社)

 

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