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浜松歴史のとびら

木下藤吉郎 松下家に奉公願い「猿」のように

◆きちんと仕事 殿様から信頼

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木下藤吉郎は、1537(天文6)年、今の愛知県西部・尾張の農家に生まれました。のちの豊臣秀吉です。豊臣秀吉が「猿」と呼ばれることになったきっかけと思われる出来事が、浜松にあったのです。

 武士になることを夢見た藤吉郎は、奉公させてくれる殿様を求めて旅に出ました。頭陀寺(今の浜松市南区頭陀寺町)城主・松下之綱の評判を聞いた藤吉郎は、自分が仕えるのは、この人だと思いました。家来にしてもらうため、あれこれ考えました。

 「直接屋敷に行っても、門前払いされるに決まっている。せっかく浜松まで来たのに、殿様に会わなくてはあきらめきれない。何とかお会いできないものか。殿様が屋敷から出る時に一言でもいいから声をかけてみよう」

 藤吉郎は、之綱が仕える引馬城(今の浜松市中区元城町)の殿様のところへ行くのを待ち伏せ、奉公を願い出ました。

 「お、お願いがあります。私を家来にしてください」。藤吉郎は、之綱の一行の前に叫びながら駆け寄りました。

 初めて藤吉郎を見た之綱は「猿と思えば人。人と思えば猿」と大変驚いたそうです。藤吉郎の顔が猿に似ていただけでなく、飛び出した時の様子が猿のように見えたのかもしれません。

 藤吉郎が頭陀寺城に奉公したのは、14、15歳ごろだった1551年から3年間といわれています。藤吉郎はどんな仕事を命じられても、いやな顔一つしないできちんとやりこなし、いつの間にか頭陀寺城になくてはならない存在になりました。藤吉郎は、殿様からの信頼が厚く、松下家の会計を担当する納戸役に抜擢されました。

 こうして、藤吉郎は武士としての初めの一歩を浜松の地で歩みだしました。

 「私の元で学ぶことはもうない。当地におさまる器ではない。より広い世界で存分に力を発揮しろ」

 藤吉郎の器の大きさに気づいた殿様は新しい殿様に仕えるように促しました。

 藤吉郎は新たな飛躍を誓って、浜松から旅立っていきました。

<もっと知りたい人へ>

参考文献:紙芝居『養育の里 頭陀寺城』頭陀寺城(松下屋敷跡)を語る会

※浜松市可新図書館(南区)で借りることができます。

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