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浜松歴史のとびら

天龍三郎 戦前の人気力士、均整とれた体格

◆大阪で別団体設立 ラジオ相撲解説も

大相撲で活躍した天龍三郎

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 天龍三郎(1903〜89年)は、今の浜松市西区大久保町に生まれました。本名は和久田三郎です。

 幼い時から体が大きく、小学校を卒業するころには、身長158センチ、体重66キロになっていました。当時の成人男性の平均身長とほぼ同じで、あまりの大きさに「怪童」と呼ばれたこともありました。卒業式の日に、大相撲の力士が学校までスカウトに来たものの、家族に反対され、卒業後は、造船所の書生として働きました。

 力士になる夢を諦めきれない三郎は、19(大正8)年、大相撲の出羽海部屋に入門しました。翌年、郷土浜松にちなんだ「三方ケ原」の力士名で、序ノ口の番付に載りました。その後、順調に力を付け、翌年には、力士名を「天龍」に改めました。

 体重の多い力士の中で、天龍は、身長は185センチに伸びたものの、体重はどうしても94キロを超えることができませんでした。鍛錬を積み重ね、28(昭和3)年1月には、十両で優勝することができました。同年5月、初土俵から足かけ9年で念願の入幕を果たしました。

相撲解説者も務めた(右)

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 幕内に入ると、体重は毎年5キロ以上増え、めきめきと力を付けました。30(昭和5)年5月、平幕から小結を飛び越えて一気に関脇に昇進しました。年齢は27歳6カ月、身長185センチ、体重103キロ、均整の取れた体で、一躍人気力士になりました。

 人気と地位を得た天龍は、相撲界をより良くしようと相撲協会に強く訴えました。ところが、要求を受け入れられなかった天龍は、30人の力士を引き連れて協会を脱退しました。

 大相撲の改革を目指した天龍は、大阪で「大日本関西角力協会」を設立しました。さっそく勝ち抜きトーナメント方式など、当時としては革新的な取り組みを行いました。当初は評判を得たものの、次第にかげりが見え、角力協会は解散しました。

 天龍は、その後、満州(今の中国東北部)に渡って相撲の普及に努めたり、ラジオの相撲放送の解説者をしたりしました。元力士による相撲解説の草分けだったのです。

<もっと知りたい人へ>

参考文献(さんこうぶんけん):『浜松が生(う)んだ名(めい)力士 天龍三郎展(てん)』浜松市立中央図書館(しりつちゅうおうとしょかん)

 

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