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聖火の重み、今も脳裏に 64年五輪走者・和田さん

資料を見ながら当時を振り返る和田さん=浜松市中区で

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 二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの聖火リレーの静岡県内のルートが公表された。一九六四年の東京五輪から半世紀を経て、県内を再び聖火が巡る。半世紀前、県内での聖火ランナー第一走者を務めた和田隆保さん(72)=浜松市中区広沢=に沿道を熱狂が包んだ「あの日」を振り返ってもらった。

 前回の東京五輪では六四年十月三、四、六日の三日間、県内一八五・一キロの道のりを二千六百二十二人のランナーが駆け抜けた。距離も人数も今回とは随分違う。第一走者の和田さんは当時、浜松北高校三年の十七歳。選ばれた経緯は分からないが「当時、陸上部の主将だったので、先生たちが推薦してくれたのでは」と話す。

和田さんが受け取った委嘱状

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 三日午後三時四十五分ごろ、愛知県から浜名郡湖西町白須賀(現在の湖西市)に聖火が入った。浜松市街地までのコースのうち、上り坂が急な最初の一キロ半ほどを走った。

 高度経済成長期のまっただ中で、国威発揚や、さらなる経済成長を促す格好の舞台だった東京五輪。沿道にあふれる人垣、走るうちに徐々に重くなるトーチの感覚は今も脳裏に焼きついている。「夢中だったのでコースについてあまり覚えていない」と振り返るが、走り終えると、汗でびっしょりになっていた。

 その後、和田さんは早稲田大に進学し、浜松市立高校に教諭として赴任。一九七三〜二〇〇七年、陸上部の顧問を務めた。現在、同校の女子陸上は全国レベルの強豪として知られるが、その素地をつくった。静岡陸上競技協会の会長も務めた。

前回の東京五輪で聖火リレー走者を務めた和田隆保さん(和田さん提供)

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 自身が聖火ランナーの県内第一走者だったことは「聞かれたこともなかったし、自分でも忘れていたくらい」と笑う。二度目の東京五輪の開催が決まり、当時、支給された白いシャツやパンツ、シューズを捜したが「どこにいったんだろうね」。トーチは見つかり、浜松市に寄贈したという。

 世紀も年号も、世相も様変わりして迎える新たな五輪。聖火ランナーが抱く思いも重圧や緊張だけではないだろう。「恐らく一生に一度だからこそ、貴重な財産にしてほしい」とメッセージを送る。もちろん、せっかくの支給品も「そりゃ、残しておいたほうがいいね」。

(鎌倉優太)

 

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