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戦後74年 浜松市遺族会長稲田さんに聞く

◆父に会いたい、骨でも 4度目収集の旅へ

父・藤雄さんの遺影を手に遺骨収集への思いを語る稲田定彦さん=浜松市東区小池町で

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 浜松市遺族会会長の稲田定彦さん(74)=東区小池町=は今月二十日、太平洋戦争の激戦地、サイパン島へ四度目となる遺骨収集の旅に出る。身重の妻を残し、サイパン島へ出征した父・藤雄さんは今も帰ってきていない。一度でいいから会いたい、日本へ帰してやりたい…。今も変わらない戦没者遺族の思いを聞いた。

 一九四四年、藤雄さんは召集された時、妻の志つゑさんに「ふびんな思いをさせて悪い」と何度も繰り返したという。稲田さんは「生きて帰ってこれないと覚悟していたんだと思う。本当につらい思いで出征したと聞いている」と語った。

 小学生の時、父親に野球ミットを買ってもらったと自慢する友だちがいた。働きづめの母には言い出せず、紙を折ってミットを作り、ミカンをボール代わりに遊んだ。高校進学を控え、進路で悩んだ時、「たとえ、戦争で手足を失っていてもいい。おやじが話だけでも聞いてくれたら」と願った。

 稲田さんは三十年ほど前、初めて母と一緒にサイパンを訪れた。「現地の人と結婚した日本人がいないか」と尋ね回った。新しい家族がいてもいいから生きていてほしい−。そんな思いからだった。

 生き残った戦友の証言などから父が亡くなったとみられる島北端部にも足を運んだが、遺骨も遺品も見つからない。「おふくろがふびんだった」。十一年前、九十三歳で亡くなるまで母は生存を願い続けていたという。

 戦没者の遺児として稲田さんは最も若い世代。戦争に関する展示会の開催に尽力したり、自ら語り部を務めたりしてきたが、体力的にふと弱気にもなる。「おやじの骨を日本に帰してやりたいが、風化もあるし、難しいかもしれない」

 ただ、それでも遺骨収集に向かうのは変わらない思いがあるからだ。「小さいころは七十四年の人生を平和に過ごせるなんて考えられなかった。今の平和は犠牲になった人たちがいたおかげ。戦争の惨禍を二度と繰り返さないためにも、そのことは伝え続けたい」

◆取材を終えて

 稲田さんの自宅にある父・藤雄さんの遺影は、きまじめに前を見つめている。

 出征直前、三十一歳の時のもの。わが子をひとめ見ることもかなわず、どんな気持ちでこの写真を撮ったのだろう。日本を守るためだとしても、妻や子の先々を不安に思わなかったはずがない。

 今、スマートフォンの中に収まっている私の写真はどれも、へらへら笑っている。「戦死者の犠牲があってこそと思うんですよ」と定彦さんが言う平和なニッポンで、平成八年生まれの私は平和のありがたみを考えずに生きてきた。

 戦争も、戦後の混乱期も遠くなり、正直、実感はわかない。まじめで家族思いのごく普通の人々が、何のために幸せを奪われなければならなかったのか、記者になって二年目の私は考え続ける。将来、子供を授かることがあったら、その子とともにへらへらと笑い続けるために。

(糸井絢子)

 

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