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沼津をフェンシングの街に 太田会長インタビュー 

選手育成について語る日本フェンシング協会の太田雄貴会長=沼津市で

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◆競技人口 伸びしろ大きい

 日本フェンシング協会が沼津市を「地方拠点都市」とする取り組みに力を入れている。二月に市と連携協定を締結、四月からは競技普及に向けコーチを派遣している。五輪で二度銀メダルに輝いた太田雄貴会長(33)に、思い描く将来像や、来年に迫った東京五輪への意気込みを聞いた。

 −地方拠点が必要な理由は。

 二〇〇八年にナショナルトレーニングセンター(東京都北区)ができて以来、優れた練習環境や指導者が東京に一極集中しており、東京近辺にいないと代表入りは難しいのが現状。日本のフェンシングが発展するには、選手強化は東京でやるとしても、育成や競技普及の拠点を全国につくることが重要だと考えている。

 −なぜ沼津に注目したのか。

 フェンシングで魅力発信をしなければ沼津が衰退するという、頼重秀一市長の危機感と熱意が感じられ、市全体で競技の活性化を後押ししてくれると思った。静岡県は広いので、競技人口が増える伸びしろが大きいことも魅力。

 −沼津での競技普及に必要なことは。

 市民みんながフェンシングを熱心に応援してくれるようになってほしい。そのためには、五輪や世界選手権に出るようなスーパースターが沼津から生まれることが必要。自分も北京五輪で銀メダルを取ってから、母校の龍谷大付属平安高校(京都市)のフェンシング部員が体育館からあふれるくらいに増えた。

 −昨年十二月には沼津で日本代表の強化合宿を開催した。選手たちの反応は。

 練習場のプラサヴェルデ(沼津市大手町)と宿泊施設が近く、練習に集中できたと聞いている。おいしい食事も満喫できたみたい。

 −日本代表の五輪事前合宿を沼津で行う可能性は。

 合宿地は選手たちとコーチで話しあって決めてもらいたい。沼津か東京か海外か分からないが、現場の意見を尊重する。

 −五輪での日本代表の目標は。

 メダルの数については言ってない。選手には勝ってほしいが、メダルを取れなくても価値はある。満員の観客が熱烈に応援してくれてフェンシングの盛り上がりにつながるような状況を実現できれば。

 −どのような五輪にしたいか。

 頑張る人を応援する社会をつくりたい。日本には「出るくいは打たれる」的な空気があるが、選手たちの頑張りを見てもらうことで、一般社会でも人々が応援して高めあえるような風潮に変えていきたい。

(聞き手・杉原雄介)

◆五輪経験者 市職員に

 沼津市では一九五四年に沼津西高でフェンシング同好会(現在は部)が発足。同高は五七年の静岡国体でフェンシングの競技会場となったほか、インターハイ団体優勝など全国大会でも実績を上げている。

 だが、現在の市内の競技人口は六十六人どまり。市出身者では日本代表経験のある鈴木穂波選手(24)が現役だが、これまでに五輪に出場した選手はいない。

 市は日本フェンシング協会との協定を機に、競技人口三百人超えと金メダリスト輩出を目標に設定。二〇〇〇年シドニー、〇四年アテネ両五輪に出場し、日本代表のコーチ経験もある長良将司(まさし)さん(42)を、四月から市職員として登用した。長良さんは六月から、競技未経験の子ども向け体験会や、小学生から高校生の経験者を対象とした強化練習会で指導に励んでいる。

 長良さんは「金メダリストを育てるには十年以上かかると思う。競技普及の面では、大人や障害者向けのイベントもやっていきたい」と長期スパンでの取り組みを見据える。

 太田 雄貴(おおた・ゆうき)1985年11月25日、大津市生まれ。小学3年時から競技を始め、2008年北京五輪のフルーレ個人で銀メダルを獲得。フェンシングでは日本勢初のメダリストとなる。12年ロンドン五輪でもフルーレ団体で銀メダルに輝き、16年に現役引退。17年に日本フェンシング協会会長に就任し、昨年からは国際フェンシング連盟副会長も務める。

 

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