トップ > 中日新聞しずおか > 静岡写真ニュース > 記事

ここから本文

静岡写真ニュース

渋沢栄一、慶喜と面会 静岡藩に仕官1年居住

渋沢一家の住んだ教覚寺=9日、静岡市葵区で(谷口武撮影)

写真

 「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は大政奉還後の一八六八(明治元)年から一年、静岡に暮らし、旧主・徳川慶喜の命で静岡藩にも仕えた。

 慶喜の弟・昭武に随行したフランス留学から帰国し、すぐに静岡市葵区の「宝台院」に蟄居(ちっきょ)謹慎していた慶喜を訪ねる。二人が面会し、慶喜が静岡藩への仕官を命じた六畳間は、一九四〇(昭和十五)年の静岡大火で焼失したが、歴史を伝える石碑は境内に残る。

 大火で生家を焼かれ、八十年前に宝台院近くに引っ越した伊藤能弘さん(88)は「ゆかりの人がお札になるのはいいこと」と喜ぶ。紙幣集めを趣味とし、昭和初期の五十銭札や、菅原道真がデザインされた五円札などをファイルに入れて保管している。

 伊藤さんは「何となく取っておこうかなと集め始めたけど、新札を加えるのが楽しみ」と語った。

 渋沢は葵区常磐町の教覚寺に居を構えた。南荘宏住職(64)によると、渋沢が静岡藩に仕官中の一八六九年に設立した金融商社「商法会所」の役員が寺と関係があった。

 渋沢の長女・穂積歌子は著書「はゝその落葉」で静岡の暮らしに触れ、「(寺関係者の)妻子も有り家族が多かったので、寺とはいっても淋(さび)しいとも思わなかった」とつづっている。

 渋沢はその才能を明治政府に請われ、わずか一年で東京へ移る。南荘住職は「反響の大きさに驚いている。縁のある人で良かった」と話した。

 静岡の経済人にも喜びは広がった。静岡ガスの戸野谷宏会長は「渋沢は『経営はそろばんの知識だけではなく人を大切にするべきだ』と口にした。津田梅子や北里柴三郎とともに、教育にスポットを当てた人選だと思う」と話した。

(岸友里、谷口武、瀬田貴嗣)

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索