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東海本社 中日懇話会

第433回 臨済宗方広寺派管長 安永 祖堂氏 「禅の人間像−豆腐と無我」

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 第四百三十三回中日懇話会が四月二十四日、浜松市中区のホテルコンコルド浜松であった。大本山が浜松市北区引佐町にある臨済宗方広寺派の安永祖堂管長が「禅の人間像−豆腐と無我」と題して講演した。

 自由律の俳人として有名な荻原井泉水(せいせんすい)は、豆腐でエッセーを書いた。煮ても焼いても良く、いろんな食材に合う。それは豆腐が「無我の境地に到(いた)り得ているから」と言う。無我は我がなく、実体がないこと。時や場所に応じて自らを変え、生かすということだ。

 禅に「運鈍根(うんどんこん)」という言葉がある。悟りへの三条件で、運と努力、才能を指す。一般社会でも欠かせないものだ。

 私が大学で教えていた頃、オリックスの球団トップだった小泉隆司さんが社会人聴講生として来た。イチローについて「才能があったんでしょう」と尋ねると、「彼は努力し、運も良かった」と答えた。練習を惜しまず、故仰木彬監督と巡り合い、才能を開花させた。三条件がそろっていた。

 禅では「自由自在」という言葉もある。座禅は皆さんの人生の「舞台裏」だ。普段演じている会社の部長などの肩書を取っ払い、素の自分になる。自由自在には、肩書だけで生きるのはいかがなものかという問い掛けがある。

 最後に「生存する」「生活する」「生きる」という言葉の違いを紹介する。酒やたばこを控えるのは健康のためで、生存という目的がある。会社で働くのは生活のため。皆さんはここで止まっていないか。ちゃんと生きているかを問うのが禅の世界だ。生と死を紙の表裏のようにたとえた「生死一如(しょうじいちにょ)」との言葉が仏教にあるように、死を意識しつつどう生きるかを問うている。

 禅の修行に終わりはない。皆さんは毎日、大変な仕事をしている。禅の言葉や教えが、少しでも役に立てばと思う。

 やすなが・そどう 1956年生まれ、愛媛県新居浜市出身。天龍寺(京都市)で修行し、花園大文学部仏教学科教授(禅学)などを歴任。大井際断・前管長の死去に伴い、18年4月、第11代管長に就任。著書に「坦翁禅話」「笑う禅僧」など。

 

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