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静岡経済 特集

道を拓く スズキ インド進出の軌跡(6) 販売網の充実

◆高シェア維持の生命線

高価格帯の車種を扱う販売店「NEXA」=インドで(スズキ提供)

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 二〇一八年六月、スズキがインドに進出して累計二千万台目の自動車が製造された。国営企業マルチ・ウドヨグ(現マルチ・スズキ)に資本参加し、一九八三年末に生産を始めて三十四年五カ月。日本より十一年余も早く大台に達した。

 急成長は、インド全土に張り巡らす約二千七百の販売店に支えられている。「長年かけて、一番の競合他社よりも五倍の販売・アフターサービス網を築くことができた」。マルチ社の現会長、ラビンドラ・チャンドラ・バルガバ(84)は自負している。

 始まりは、スズキが合弁を組んだ八二年にさかのぼる。サービス担当社員だった川崎誠(81)は、首都ニューデリーをはじめ主要都市で店づくりを指導した。日本と同様、店舗に整備工場を備え、点検や修理に対応できる態勢を整えていく。

 西部のボンベイ(現ムンバイ)で建設を予定した土地は、海岸沿いで狭く、傾斜もあった。「臨機応変にやるしかない」。整備スペースを確保するため、ジャッキで持ち上げた車体の四隅に三角形の台(リッジトラック)を置き、車体の高さや傾きを調節する方式を採用する。現地の業者にリッジトラックの絵を描いて説明し、素材を指定すると、その通りに作ってくれた。「画一的に店舗をつくることはできない。現場を見て、現地の人とコミュニケーションを取りながら対応することが大切だった」と振り返る。

自動車の整備技術を学ぶための実習場=インド・グルガオンで(川崎誠さん提供)

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 営業担当として駐在した杉森潤三(76)は、マルチ社の幹部と各都市で店舗経営の担い手を探した。国営だったマルチ社には公正な選考が求められ、まずは新聞に広告を出して候補者を募った。ビールやチョコレートの工場を営む地域の有力者らが手を挙げ、杉森らは土地を精査した上で面談した。「販売店は車を売るだけでなく、顧客のフォローや情報管理など多くの仕事がある。そうした仕事をしっかりできる人物を選んだ」と語る。

 バルガバは当時のマーケティング部長として、販売店が得る販売手数料を車両価格の2・5%に設定する。世界標準の10%台と比べてかなり低く、「マルチ800」など値頃な大衆車の実現につながった。

 それでも販売店が利益を上げるには、当初から点検や修理を手掛けることが重要だった。インドでは販売と修理を別々の業者が担うのが主流だったが、バルガバは販売網が将来の競争の鍵を握ると考え、収益の柱を増やすよう努めた。

 一七年度のインド乗用車市場は三百三十万台で、スズキはシェア50%を握る。経済成長が続く中、いずれは日本を抜いて、三〇年にも年間一千万台に達すると見込まれる。

 そこでスズキは小型車だけでなく、中型セダンやスポーツタイプ多目的車(SUV)などの品ぞろえを増やしている。一五年には富裕層を意識した高価格帯の新店舗「NEXA(ネクサ)」を立ち上げ、今では三百店を超す。

 スズキ会長の鈴木修(88)は、シェア維持のためには「一に販売網。二にも三にも販売網」と言い切る。「生命線」とする販売店の量と質を高め、ライバル各社の追い上げに対抗する。(文中敬称略)

 <マルチ・スズキ> インド政府が1981年に設立したマルチ・ウドヨグが前身。「マルチ」はインドの風神を意味する。合弁当初の出資比率は政府が74%、スズキが26%。経済自由化に合わせてスズキは段階的に出資比率を引き上げ、2002年には54.2%と過半数を取得し子会社化。07年に今の社名に改称した。18年3月期業績は売上高7810億ルピー(約1兆3500億円)、純利益は772億ルピー(約1330億円)。

 

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