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「家康が宿泊、休憩」国史跡に 野洲・永原御殿跡と東近江・伊庭御殿跡

本丸の発掘調査で見つかった「御亭」の礎石を指さす進藤課長=野洲市永原で

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 十五日の文化審議会の答申で、江戸時代前期に徳川家康が宿泊や休憩のため利用した野洲市永原の永原御殿跡と東近江市能登川町の伊庭御殿跡が国史跡に指定されることが決まった。

 野洲市文化財保護課は「信長、秀吉と比べ、滋賀に縁の薄かった家康の貴重な遺構としてPRしていきたい」と、今後の活用策を探っていく。

 永原御殿は、徳川将軍が上洛(じょうらく)や下向の際に利用した専用宿館。一六〇一〜三四年に家康、秀忠、家光の三代が計十二回利用したことが、記録で確認されている。

 全体の広さは約四万平方メートルで、本丸、二の丸、三の丸に区分。このうち本丸は約一万五千平方メートルで、将軍が寝室で使った「古御殿」や、庭を眺めたり、茶をたしなんだりした「御亭」など、十五の主要部屋を備えていたとされる。

 一六八五年に建物が取り壊され、その後は御殿守と旧永原村が維持管理。現在も敷地全体は私有地で、市文化財保護課は地権者らの了解を得て、二〇一七年度から絵図を基に本丸の発掘調査を始め、これまでに古御殿、御亭の建物跡と土塁を確認している。

 今後、発掘調査の範囲を広げて、御殿の全容解明を進める。同課の進藤武課長(57)は「史跡の保存状態が良いので、調査を進めれば建物跡がさらに見つかる可能性は高い」と推測する。国史跡になれば注目が高まるため、「部分的にでもかつての景観が再現できないか、検討していきたい」と話している。

 伊庭御殿跡は江戸時代初頭、徳川家康らが江戸から入洛(にゅうらく)する際に食事や休憩のために利用したとされる。彦根城と永原御殿の中間に位置し、南北九十メートル、東西三十五メートルの大きさがある。

 一九八六年度の発掘調査では、建造物の基礎となる根石や、井戸の跡、現存する石垣は、高さ二メートルに近いことも分かっている。

 (平井剛、斎藤航輝)

 

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