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琵琶湖と瀬田川の境目はどこ? 記者が調査

瀬田川と琵琶湖の境界を示す看板=大津市玉野浦で

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 事件や事故、行政ニュースなど、日々の仕事に追われていたある日、支局で暇そうな上司のデスクから「そういえば、琵琶湖と瀬田川の境目って、どこなんだ? 一回、調べてみてよ」とのんきな声が掛かった。どうやら、琵琶湖を自転車で一周する「ビワイチ」をしたときに、どの橋を渡ったら本当の一周になるのかと、迷ったらしい。「忙しいです…」と喉元まで出てきた言葉をのみ込み、支局を飛び出した。

■リバーサイド林立

 琵琶湖に注ぎ込む川は、一級河川だけでも百十九本に上るが、流れ出るのは、人工の琵琶湖疏水を除けば、瀬田川だけだ。そういえば、車で湖岸沿いを走っていると、いつの間にか、道路の脇は瀬田川になっている。昨夏に復活した、屋形船で近江大橋や石山寺、南郷洗堰などを巡る遊覧船の名称は「瀬田川観光船」だ。集合住宅の「ファミール大津石山リバーサイド」(大津市松原町)や内科医院「リバーサイドクリニック」(同市瀬田四)など、周辺には「リバーサイド」を冠した建物や企業などがいくつもある。

 これらが正しいのかどうか、瀬田川の管理などを担当している琵琶湖河川事務所を訪れ、担当者に尋ねてみた。すると、答えをすぐに教えてくれた。境界は、JR東海道(琵琶湖)線の瀬田駅と石山駅の間で瀬田川にかかる鉄橋から、三百メートルほど上流地点にあるという。訪ねてみると、右岸と左岸にはそれぞれ「河川管理境界」と書かれた大きな看板が設置され、はっきりと境界が示されていた。

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 一九六五年の河川法改定に伴って現在の場所に境界が明確に定まったという。だが、ここを境界にした理由は「よく分からない」とのこと。河川などの境界は目立つ橋などに設けるケースが多いそうだ。「湖岸の埋め立て工事などが進んでいくうちに、琵琶湖がくびれ始める地点を、境界にしたのではないか」と推測されているという。

 「それより以前には、明確な区分がなかった。江戸時代の住民たちは、分かりやすい境界として、瀬田の唐橋を目印にしていたという話もある」と教えてくれた。どうやら境目の位置は、時代によって移り変わっているようだ。

 この境目から、琵琶湖は県、瀬田川は国と、管理者が分かれているという。担当者は「草刈りの時期が両者バラバラなので、境目付近では、草が伸び切っている所と、きれいに刈り取られている所に分かれていたりします」と明かした。

■眺めに心を洗われ

 調べた結果を、勇んでデスクに報告すると「へぇー」とそっけない対応。すると、今度は「琵琶湖の水位『ゼロ』って、何が基準なんだ?」と別の疑問を投げ掛けられた。

 次々と飛び出す質問に少し疲れて、琵琶湖畔にたたずんだ。琵琶湖は四百万年前から、移動を繰り返しながら、存在していたそうだ。百八十万年前にアケボノゾウ(多賀町で発掘)が闊歩(かっぽ)し、朝日将軍と呼ばれた木曽義仲が粟津の戦い(大津市粟津)で討ち死にし、明治の始まりに京都から東京に遷都される光景が繰り広げられる中、いつもそこには琵琶湖があった。デスクとは器が違う、雄大な琵琶湖を眺めていると、私の悩みなんてちっぽけなことだと思えてきた。琵琶湖に心を洗われ、明日への意欲がまた湧いてきた。

     ◇

 ちなみに琵琶湖の水位ゼロは、一八七四(明治七)年に瀬田の唐橋付近に鳥居川観測所を設けた際に、打った目盛りのゼロの位置だそう。現在では、東京湾平均海面を基準にして、海抜八四・三七一メートルと定義づけられているとのこと。

 =デスクとのやりとりは、多めに脚色を加えてあります。

 (柳昂介) 

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