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比叡山に眠るペツォルト夫妻 明治に来日、仏教と音楽に大きく貢献

ブルーノが授与された袈裟を持つ岡見さん=大津市下阪本で

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 比叡山(大津市)の中腹、坂本ケーブルのもたて山駅から徒歩5分弱の山中に、明治時代に来日して仏教界と音楽界にそれぞれ貢献した、ドイツ人のペツォルト夫妻が眠る供養塔が、ひっそりとたたずむ。夫のブルーノ(1873〜1949年)は天台宗を研究した仏教学者で、妻のハンカ(1862〜1937年)は「日本声楽の母」とも呼ばれる声楽家、ピアニスト。地元住民や夫妻に縁のあった人々でつくる「ペツォルト夫妻を記念する会」が塔を守るが、会員の高齢化が進み、継続的な活動が難しくなってきている。

 ブルーノはドイツに生まれ、大学で宗教や哲学を学んだ後、新聞社の通信員としてフランスなどで勤務した。特派員として一九一〇年に来日し、一七年からは旧制一高(現・東京大)でドイツ語教師を務めた。

 日本で暮らす中、寺の祭事に参加した縁で仏教に興味を持ち、大乗仏教の特に天台教学を研究。仏教学者の島地大等、花山信勝に師事し、比叡山もたびたび訪れた。一万冊以上の仏典を集め、ゲーテの自然観と大乗仏教との共通点について論じるなど、ドイツ語で多数の論文を書き、天台宗を世界に紹介した。こうした功績が評価され、天台宗からは僧正、死後には権大僧正の位を贈られた。

 一方、妻のハンカはノルウェー出身。作曲家リストらに師事し、ピアニストやオペラ歌手としてフランスなどで活躍した。ドイツでブルーノと出会い、結婚。夫の仕事で中国の天津に渡り、〇九年に日本で演奏会を開いたことがきっかけで、東京音楽学校(現・東京芸術大)で声楽の教師に就いた。

 国内に西洋音楽が広がる最初期の音楽教師として指導。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』の好演で、日本人として初めて世界的に活躍した三浦環や、日本におけるドイツ・リートの草分けとなった柳兼子、東京高等音楽学院(現・国立音楽大)の創立者の一人となった武岡鶴代、「日本のうたごえ」運動を創始した関鑑子(あきこ)といった、日本を代表する声楽家を育てた。

 ハンカは三七年に亡くなる前、「比叡山に葬ってほしい」と遺言を残した。これを受けて四〇年に供養塔が建立され、ブルーノや息子が参列して開眼供養が営まれた。後にブルーノも、同地に葬られた。

人知れずたたずむ、ペツォルト夫妻の供養塔=大津市坂本本町のもたて山駅近くで

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 坂本ケーブルをもたて山駅で下車し、分岐を左折。紀貫之の墓の案内のある方向に向かう道中、注意しなければ見落とすほどの足元に、「ドイツ人ブルノ・ペッオールド権大僧正の墳墓」と書かれた看板がある。ここで細い道を上った先に、供養塔がある。

 供養塔を守る「ペツォルト夫妻を記念する会」は、ブルーノの一高での教え子らを中心に、二〇〇四年に発足。毎年二月と八月の夫妻の命日に法要を営み、夫妻についての書籍の出版や、ブルーノの論文の翻訳を続けてきた。

 しかし、当時を知る教え子はすでに亡くなり、会員も七十〜九十代が中心。今年二月にも供養塔を参拝したが、以前は二十人を超えた参加者も二人に減った。活発な活動が難しくなる中、「会を解散したらどうか」という話も出た。

 それでも、現在も時折、興味を持った人からの問い合わせが全国各地からあるという。昨年末には、ドイツから訪れた学生六人が参拝し、興味を持って帰ったという。同会の岡見亮事務局長(71)は「夫妻について知りたいという人が、今もいる。情報を残して、答えられるようにしないといけない」と話す。

 ブルーノの著作の翻訳冊子は現在、七号まで完成。次の八号もあと二十ページほどで完成見込みで、これで翻訳活動には区切りをつける。その後は、伝記の出版を考えているという。

 岡見事務局長は「日本の仏教と音楽に大きく貢献し、坂本に眠りたいと言った外国人がいたことを、皆さんに知ってもらえるようにしたい」と話している。

 

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