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自主避難所、物資確保に苦労 台風19号の長野市

7日まで自主避難所となり、支援物資が市から届けられた篠ノ井総合市民センター=長野市篠ノ井御幣川で

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 台風19号で被災した長野市では、地域の集会所や市民センターが自主避難所として、指定避難所に逃げ遅れた被災者の駆け込み寺となった。自主避難所の支援策について明確なルールはなく、運営に市が関わったかどうかで支援の内容に差が生じていた。

 千曲川の堤防決壊現場から約三・五キロ。長野市豊野町豊野の住民らが運営する集会所、豊野区事務所には十五人が現在も身を寄せる。被災から一週間ほど市から直接の支援がなかった自主避難所だ。

 区長の善財(ぜんざい)孝文さん(67)によると、堤防が決壊した十月十三日の朝、市役所豊野支所から「事務所を避難所にできないか」と電話があったという。近くには指定避難所の豊野西小があるが、既に満員状態だった。善財さんは同校に入れなかった住民を豊野区事務所に受け入れた。

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 「一〜二泊ぐらいならば大丈夫と思った」と善財さん。だが、多くの人がその後も浸水した自宅には帰れず、一時は約四十人が身を寄せた。

 頭を抱えたのが、支援物資の確保だ。豊野西小を含む市内の指定避難所には被災直後から弁当や毛布が届けられていたが、豊野区事務所では地区の役員が何度も豊野西小まで往復して物資を運び込まなければならなかったからだ。

 後にNPO法人から物資の支援を受け、市が派遣した他自治体の職員が物資の運搬を手伝うことになったが、善財さんは「NPO法人が来なければ役員は倒れていたかもしれない。市がもっと早く支援してくれていたら」とため息をつく。

自主避難所になった宝蔵院に運び込んだ支援物資を見せる副住職の田中さん=長野市豊野町で

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 市が自主避難所として把握していなかった場所もある。豊野町浅野の寺「宝蔵院」がその一つだ。台風19号が最接近した十月十二日の深夜、高齢者を中心に近隣の住民三十人が避難してきた。

 千曲川支流の鳥居川が一九九五年に氾濫した際も近隣住民の避難先になっていたが、豊野町浅野の友田淳区長(72)によると、避難所として閉鎖される十六日まで、副住職の田中智之さん(63)らが近隣の指定避難所の豊野東小から物資を運び込み、なんとかやりくりしていた。

 一方、市が被災当初から運営に関わった自主避難所も。支所が入る市南部、篠ノ井地区の篠ノ井総合市民センターは、十二日夕から住民の受け入れを開始し、間もなく毛布などの物資が届けられた。当時は約七百人が身を寄せたが、十三日朝にはおにぎりなどの食料が全員に行き渡った。

 市によると、市が把握していた自主避難所は、豊野区事務所、篠ノ井総合市民センターを含む五カ所にとどまる。だが、ほかにも住民が自主的に開設した宝蔵院などの避難所は多数あったとみられている。

 災害対策基本法では指定避難所以外の場所で過ごす被災者の生活環境に配慮するよう努力義務を市町村の首長らに課している。市危機管理防災課の担当者は「把握できた自主避難所にはできるだけ支援をしたいが、明確な運営方法が定められていないため、対応しきれない部分もある」と話しているが、自主避難所の支援策に関する明確なルール作りが求められそうだ。

 (城石愛麻)

 <自主避難所> 災害対策基本法は、一定の期間避難生活を送る事態を想定し、公共施設などを「指定避難所」として指定するように市町村長に義務付けている。これに対し、住民らが自主的に開設して避難生活を送る場所などは一般に「自主避難所」と呼ばれる。長野市の場合は、災害時には指定の有無にかかわらず、身の安全を確保できる施設へ逃げるよう呼び掛けている。

 

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