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長野

和船文化守る熟練の技 高森・市田造船所の矢沢さん

◆天竜水系唯一の船大工 見習いの指導に熱

釘を打ち込む矢沢さん=高森町の市田造船所で

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 「カンカンカン」−。高森町市田にあるこの作業場では、冬の間ほぼ毎日、トンカチをふるう音が鳴り響く。作業場の名は市田造船所。海のない長野県で、船大工が和船を製造している。

 飯田市教育委員会文化財保護係の下平博行係長によると、一六三七(寛永十四)年には、現在の伊那市から静岡県磐田市まで船を運航したとする記録が残っているという。天竜川の水運は、江戸時代後期から明治時代にかけて最盛期を迎えたが、鉄道の登場やダムの建設により、大正時代には物資運搬の役割を終えた。

 和船による水運が衰退する中、天竜川では明治期に外国人旅行者の間で舟下りが流行。国内でも徐々に注目を集め、一九一七(大正六)年からは観光専用船としての運航が始まった。下平さんは「唯一かどうかはわからないが、和船文化が現在まで続くのは、全国でも珍しい」と話す。

天竜水系唯一の船大工である矢沢さん(左)と見習いの2人=高森町の市田造船所で

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 その和船を造っているのが市田造船所だ。観光用の和船を運航する信南交通社員で、造船所の親方である矢沢啓志さん(58)は、天竜水系で唯一の現役船大工。二十代後半で弟子入りしてから、手掛けた和船は四十艘(そう)近くになる。

 和船に設計図はない。造船所で受け継がれている「型板」と呼ばれる木板などを当てて、各部分の曲線や角度を確認し、見習いの間は親方に質問しながら、見よう見まねで船を造る。木材の形も異なるため、全ての船は一つ一つ、微妙に形状が異なる。

型板で角度を確認する矢沢さん=高森町の市田造船所で

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 船釘(ふなくぎ)と呼ばれる柔らかい釘で木材をつなげていき、全長約十三メートル、重さ一トン以上にもなる和船を一カ月以上かけて完成させる。木材の間に隙間ができないよう、かんなで削って一ミリ以下の単位で調整する必要があるが、毎年、冬の間に一〜二艘しか造らないため、この作業の習熟には十年以上かかるという。

 初めは「かんなの研ぎ方もわからなかった」という矢沢さんも、三十年以上経験を積み、今では「一度の修正で隙間を埋められる」と誇らしげに語る。先輩の船大工は全員定年を迎え、今では二人の見習いを指導しつつ、共に船を造っている。

 「二人はまだまだ」と矢沢さん。実際よく見ると、二人が仕上げた部分は、親方のものと比べるとわずかに隙間が空いている。しかし、厳しい言葉をかけつつも、二人には期待をかけている。「後継者ができてよかった。若い衆にバトンタッチして、安心して退職するのが目標かな」

道具の多くが船大工用の特注品だという

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(飯塚大輝)

 【土平編集委員のコメント】今日紹介したのは、長野県飯田市や伊那市を対象にした南信版の記事です。和船を手掛ける船大工は各地にいますが、海沿いの地域が中心。海のない長野県で残っているのは、やはり天竜川の川下りの存在が大きいようです。それでも1年に造るのは1〜2艘といいますから、技術を取得するのも相当な時間が必要です。伝統的な工芸品も同じですが、後継者不足は大きな問題。その点、矢沢さんは「まだまだ」といいますが2人の「見習い」がいるのは心強い。熟練の技を受け継いでいってもらいたいものです。

 

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