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石川

【わがまちの偉人】小松市 俳人としても活躍した化学者 飴山 実(1926〜2000年)

郷愁の念 にじむ名句

飴山実にもらった色紙を、大事に残している北野勝彦=小松市殿町で

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 故郷を思う美しい俳句が心を打つ。小松市上本折町出身の飴山実は、昭和から平成にかけての俳壇で名をはせた。平明で柔らかな作風を知られた俳人は、長く山口市で暮らしたが、年に一度は帰省。ふるさとを詠んだ名句も多く、今も地元で愛されている。(青山直樹)

 「うつくしき あぎととあへり 能登時雨」

 能登での一場面を詠んだ飴山の代表句だ。「あぎと」とは「顎」の古語。雨の中で傘を差す女性に目をやると、白く美しい顎がのぞいた。季語は時雨で冬。五七五から情景が浮かぶ。

 小松俳文学協会顧問の田中清子は「女性と時雨の美しさを、つややかに表現している。想像をかき立てる素晴らしい一句」と絶賛する。飴山の句は今も協会員に愛されているといい、「ふるさと石川への思いを感じる」と話す。

 飴山は金沢市の旧制第四高校の時に俳句を始め、京都大農学部農芸化学科に進学した。卒業後は研究の道へ進み、山口大農学部教授などとして酢の研究に業績を残した。一方で句作に励み、「おりいぶ」「花浴び」などの句集を残した。

 「非常に温厚で、穏やかな人だった」と思い出すのは、飴山のおいの北野勝彦(74)=小松市殿町。北野の母が飴山の姉の北野清子。生前の飴山は年に一、二回ほど帰省。一九七〇年の北野の結婚式にも出席してくれた。

 今もおじの記憶は心に残る。北野が中学教諭だった八〇年ごろ、飴山に生徒たちの俳句集を見せたことがある。一流の俳人はページをくり、優しく言った。「教えている先生が、『いい』と言った作品が良い俳句なんだよ」

 北野は「第三者が、先生の批評をするのは良くないと思ったのでは」と振り返る。穏やかで優しい人柄。帰省するたび、自作の句を色紙に書きプレゼントしてくれた。「初市の 加賀の起上(おきあがり) 小法師(こぼし)かな」。三十枚近い色紙を、北野は今も大事に残している。

 飴山の故郷への思いがにじむ句がある。小松市今江町にある高台の御幸塚(みゆきづか)。かつては今江潟、木場潟、柴山潟の三湖が見渡せたが、今江潟は干拓で姿を消した。飴山は晩年に帰省し、こう詠んだという。

 「まぼろしに 湖を三つ見る 花の間(あい)」。五七五に込めた郷愁の念。田中は願う。「小松出身の素晴らしい俳人がいた。多くの人に親しんでほしい」                       =敬称略

                         

  ◇     ◇     ◇

 次回は、多くのすし職人を育てた野々市市の太平寿(たへいず)しの初代、高谷進二郎(一九四九〜二〇一八年)を紹介します。

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【あめやま・みのる】しょうゆ醸造業を営む家に生まれた。小松市芦城小学校、旧制小松中学校(小松高校)を卒業。俳人としては朝日俳壇の選者を務め、評論集に「季語の散歩道」がある。化学者としては応用微生物学を研究し、静岡大助教授、山口大農学部教授などを務めた。

 

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