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【わがまちの偉人】 輪島市「御陣乗太鼓」保存会設立 北岡周一 1930〜2017年

 輪島市名舟町に伝わる「御陣乗太鼓」(県無形民俗文化財)の保存会設立に尽力し、地元が誇る伝統の継承に生涯をささげた北岡周一。太鼓打ちとしての誇りを胸に、小さな港町の宝を国内外に知らしめた熱い思いは、今も保存会に引き継がれている。 (関俊彦)

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宝に託した村おこし

 「太鼓打ちに何ができる」。一九五九年、村おこしを目的に保存会を設立した時、地元からは中傷にも似た言葉が飛び交った。太鼓に四百年以上の歴史があっても、全国的にはまだまだ無名。村おこしにつながると考える人は少なかった。

 「やると決めたことにはしんがぶれず、無言でコツコツとやる人だった」。長男周治(61)が語る通り、北岡は中傷の言葉に反抗するわけでもなく、淡々と行動すると、次第に国内外から出演オファーが寄せられるようになった。東京五輪の前年祭(六三年)や大阪万博のオープニング(七〇年)にも出演。言葉でなく、結果で保存会設立の意味を示していった。

 打ち手としては、筋骨隆々で寡黙な労働者の役「爺(じい)面」を担った北岡。衣装の隙間から筋肉をのぞかせ、気迫を向きだしにばちをふるう様子を、前保存会長の今寺研治(70)は「役が乗り移り、オーバーに言えば人を超えていた」と評する。

 七〇年ごろ、「能登ブーム」で観光客が能登地域にどっと訪れるようになると、ホテルや旅館からの公演依頼が殺到。一日に最大十一公演をこなす中では、宴会で酒に酔った観客を相手にすることもあった。

名舟大祭で勇壮な演奏を披露する御陣乗太鼓保存会のメンバー=輪島市名舟町で

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 「一人でも見ていたら絶対に手を抜くな」。どんな公演、どんな観客であっても最高の演奏をする−。「見て覚えろ」が当然の世界で、助言をめったにしなかった北岡が、後輩に伝えた太鼓打ちの矜持(きょうじ)だった。

 七十二歳で打ち手を引退してからは、後継者を指導する一方、地元の名舟大祭を裏方として支えた。晩年、周治の孫で北岡のひ孫にあたる大和(6つ)に太鼓打ちの技術と心得を教え、八十六歳でこの世を去った。

 現在、北岡の思いを引き継いだ周治が事務局長を務める保存会は、輪島キリコ会館で無料公演をするほか、県内外で精力的にばちをふるっている。大和は今夏の名舟大祭で初舞台を踏む予定で、確実に新しい風も吹き始めている。

 「後継者不足の課題はあるが、今は地域全体で太鼓を支えてくれている」と周治は言う。太鼓打ちにできることを黙々とこなした北岡の思いは、しっかりと地元に根付いている。 =敬称略

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 次回は、小松市で創作活動を続けた日本画家の二木紫石(ふたぎしせき)(一八九三〜一九七九年)を紹介します。

 きたおか・しゅういち 輪島市名舟町に生まれる。尋常小学校を卒業後、季節労働者として大阪府で土木関係の仕事に従事した後、地元に帰って刺し網漁師として生計を立てた。10代半ばで御陣乗太鼓を始め、1959年に保存会を設立。日本文化交流使節団の一員として、欧米や中東など世界各国で公演した。

 御陣乗太鼓 1576年、上杉謙信に攻め込まれた名舟村(現・輪島市名舟町)の村人が、木の皮や海藻でできた面を着けて太鼓を打ち鳴らし、上杉軍を追い払ったとされるのが由来。夜叉(やしゃ)や幽霊などの面を着けた打ち手が雄たけびを上げたり、にらみを利かせたりしながら、一つの太鼓を打ち鳴らすのが特徴。1963年に県無形民俗文化財に指定された。

 

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